真珠湾攻撃から8日で80年。ハワイでは追悼式典が行われました。

その真珠湾には、『ダニエル・イノウエ』と名付けられた最新鋭のイージス艦が配備されることになりました。9年前に亡くなったハワイ出身の日系2世、ダニエル・イノウエ氏の名前が付けられました。アメリカの戦闘艦に日本にルーツを持つ名前がつくのは、初めてのことです。

戦後、日系人初の連邦議員となったイノウエ氏。この80年におけるアメリカの変化の象徴です。

日系2世として生まれ育ったイノウエ氏。真珠湾攻撃は17歳のときでした。当時のことを、こう話しています。
ダニエル・イノウエ氏:「あれは日曜日のこと。私は髪をとかしながらラジオに耳を傾けていた。すると、突然、音楽が止まって臨時ニュースが始まった。そして、アナウンサーが叫んだ。『真珠湾に空爆』と。機体は真珠色で“赤い丸”が見えた。私は、そこで自分の人生が終わったと感じた。戦闘機のパイロットは、私と同じ見た目だったから」

犠牲となったアメリカ人は2403人。当時、人口の約4割を占めていた日本からの移民やその子どもは、この日を境に“敵国の人間”として扱われるようになります。「自分は、アメリカ人だ」。そう訴えるために選んだのは、アメリカ人兵士として、戦場に立つこと。イノウエ氏は、ヨーロッパ戦線に身を投じました。
ダニエル・イノウエ氏:「若者だった私が最初に感じたのは怒りだった。日本の愚かな行為のせいで、自分の将来が壊されてしまったと。私たちは、徴兵されて仕方なく戦ったわけではない。はっきり証明するという大義名分があったから。我々も同じアメリカ人と同等なのだと」

片腕を失いながらも戦い続け、英雄として認められました。戦後50年近く、アメリカ政界の中枢を担いました。晩年は、沖縄の基地問題で交渉役を務めるなど、“日米の懸け橋”としても力を注ぎました。

イノウエ氏の息子・ケンさんに、その想いを聞きました。
イノウエ氏の息子・ケンさん:「真珠湾攻撃の直後に日系人の間で、こう言われていた。『父と母が争っていたら、片方が殺されるのを待つか、二人が争うのをやめるのを願うか』。父は、日本とアメリカがうまくやることが大切だと考えていた。それだけ多くの共通の利益があると信じていた」

一度は憎んだ両親の祖国・日本に歩み寄るきっかけとなったのは、やはり、戦地での経験でした。
イノウエ氏の息子・ケンさん:「父のように戦地に赴く人は、ある時点で気づく。必ずしも悪人と戦っているわけではないと。相手は、誰かの兄弟であったり、子どもと家族のいる父親であったりするのだと。異なる文化を持つ同士でも共通点は存在するもの。その共通点をもとに関係を作り上げればいいのだと」

イノウエ氏は、亡くなる直前まで学校などを精力的に周り、自身の経験を語り続けました。イノウエ氏が語った教訓は、ハワイで戦争を学ぶ教材として使われています。

ハワイの未来を担う若者たちは、80年の節目を、どう見ているのでしょうか。
高校生(日系5世):「祖母たちは、戦争のとき、差別されたこともあったそう。日系人であることを隠すこともあった。私は、そうせずに済んでいる。今、自分がありのままでいられることに感謝している」
高校生(日系4世):「彼の名前がイージス艦についたのは、すごいこと。軍が考えを変えた。彼はある意味、歴史を書き換えた。私もグローバルな視点を持って、分断ではなく、互いに手を取り合い、より良い世界のためにできることをしたい」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

WACOCA: People, Life, Style.