CREA Traveller 2026 春号は「アート旅」特集。花や鳥、海岸線――。自然を愛し、光を追い続けた画家クロード・モネ没後100年の節目に、“モネのまなざし”を求めて彼が過ごしたフランス・ノルマンディ地方を巡る。そしてフランスと日本のアートスポットを訪ね歩き、芸術に導かれる感性の旅路へ。


CREA Traveller 2026 春号

モネの愛した光を辿る

特別定価 1,800円



 ル・アーヴルから北東約150kmにわたり、英仏海峡を臨むノルマンディ北岸のアルバートル海岸。四十路のモネはディエップを拠点に、白亜の崖や海、港町を精力的に描き続けた。




切り立つ崖の自然美、ディエップ

ディエップ周辺の海岸から天気のいい日は、対岸の英国が見える。崖の色味はところどころ異なっている。

ディエップ周辺の海岸から天気のいい日は、対岸の英国が見える。崖の色味はところどころ異なっている。

 パリのサン=ラザール駅から2時間半弱、垂直の断崖絶壁が広がる北寄りのノルマンディ、ディエップからモネの視線を辿ってみよう。


 この地は古代中世、ヴァイキングが船を着けやすいアルク川の深い岸を見つけ、集落に発展。語源は英語のdeepと同じだ。



ディエップ郊外の海街でモネは断崖を描き続けた

《プールヴィルの砂浜と断崖の前にある漁船》1882年(42歳)ディエップの小石のビーチから西南西の方向へ、緩やかな弓なりの海岸線がプールヴィル、ヴァランジュヴィルへと続いている。
《プールヴィルの砂浜と断崖の前にある漁船》1882年(42歳)ディエップの小石のビーチから西南西の方向へ、緩やかな弓なりの海岸線がプールヴィル、ヴァランジュヴィルへと続いている。


ベージュの砂浜が、青空そして断崖の影を映し込む。
ベージュの砂浜が、青空そして断崖の影を映し込む。

 41歳のモネが画材道具とともにディエップ駅に降り立ったのは、1882年2月。当時のディエップは観光で賑わう街で、英国ニューヘイヴンとの定期フェリー便の乗客、そして、パリからのヴァカンス客で、ごった返していたらしい。



《ディエップの街》1882年(42歳)街の西にある丘から、旧城塞の聖レミ塔を手前に市街を見下ろす。塔の屋根は当時の姿を留めないが、かろうじて壁だけ残っている。
《ディエップの街》1882年(42歳)街の西にある丘から、旧城塞の聖レミ塔を手前に市街を見下ろす。塔の屋根は当時の姿を留めないが、かろうじて壁だけ残っている。

 今も面影の残る、ディエップ港を望むアンリ4世河岸のホテルに滞在しながら、モネは宿代や部屋に関する文句を、後に妻となるアリス・オシュデに手紙で綴った。



ヴァランジュヴィルの崖下、石灰質の岩肌の色がディエップ寄りと随分違う。
ヴァランジュヴィルの崖下、石灰質の岩肌の色がディエップ寄りと随分違う。

 アルバートル海岸には有名な景勝地、エトルタやフェカンもある。が、青年期に恩師ウジェーヌ・ブーダンと描いたそれらより、モネはディエップの西郊外、プールヴィル・シュル・メールならびにヴァランジュヴィル・シュル・メールでこの時期、貪欲に絵筆を走らせ続けた。


 当時、新しく整えられたカジノや海沿いの歩道など、観光施設を避けるように、モネは大自然の海岸線そして時代から取り残された中世の街並みを、あえて描いたのだ。



地元の散歩客はさすが慣れていて、引き潮の頃合いに長靴で小径を下ってゆく。
地元の散歩客はさすが慣れていて、引き潮の頃合いに長靴で小径を下ってゆく。

 モネも通ったであろう、ヴァランジュヴィル・シュル・メールから砂浜に下りる小径は「Grande Randonnée 21(GR21)」というハイキングコースに繋がっているので歩いてみるのもいい。


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崖と空、海の色彩を追っていつもと違う旅をしてみる

文=南陽一浩  写真=橋本 篤  協力=ノルマンディ政府観光局、インプレッショニスト・アドヴェンチャーズ

CREA Traveller 2026年春号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

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