2008年のレノファ山口FCは、クラブの歴史において「真の誕生」を意味する、極めて重要なエポックメイキングな一年でした。

「山口県教員団」という名前を脱ぎ捨て、一般公募によって決まった「レノファ山口FC」という新たな名称での3年目のシーズン。そこには、単なる一チームの改称にとどまらない、山口県初のJリーグクラブ誕生を夢見る人々の並々ならぬ覚悟が込められていました。

宮成隆監督のもと、中国サッカーリーグを主戦場としたチームは、まさにゼロからのクラブ作りに奔走しました。選手たちは昼間はそれぞれの職場で働き、夜に集まって練習を重ねるという過酷な環境にありながらも、「山口からJリーグへ」という合言葉を胸に、情熱的な戦いを見せました。

ピッチ上では、安田忠臣選手をはじめ、山口のサッカーを長年支えてきた選手たちが、新しいオレンジ色のユニフォームに袖を通し、その誇りを胸に戦いました。中国リーグでは優勝争いに食い込み、最終的には2位という好成績を収めます。特筆すべきは、この年の**全国社会人サッカー選手権大会(全社)**での健闘です。全国の強豪を相手に戦い抜き、山口という地名と「レノファ」という名を全国のサッカー関係者に知らしめる最初の一歩となりました。

また、この年は「サポーター」という存在が目に見えて増え始めた年でもありました。地域の人々が「自分たちの街のチーム」としてレノファを応援し始め、スタジアムに手作りの横断幕が掲げられるようになった光景は、クラブが地域に根を下ろし始めた何よりの証でした。

結果としてJFL昇格の権利を得るまでには至りませんでしたが、この2008年に灯された小さなオレンジ色の火が、後に山口県中を熱狂させる大きな炎へと育っていくことになります。まさに、レノファ山口という長い物語の「第1章」が書き始められた、記念すべき一年でした。

さらに詳しい内容は山本アンバサダーコラム第3話2008年へ

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