21歳にして日本のJリーグを戦いの場に選んだFWエジミウソン。アルビレックス新潟時代の記憶や“浦和レッズ移籍の真相”などについて語ってくれた〈NumberWebインタビュー全3回/第3回に続く〉。

ソリマチさんは厳格だけど人間味があるよね

――アルビレックス新潟時代、反町康治監督からはどのようなプレーを求められたのですか?

「攻撃面では自由にプレーしていいが、相手ボールになったらすぐ守備に戻るように言われた。当時、ブラジルではアタッカーは攻撃だけしていればよかったから、最初は少し戸惑った」

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――あなたがホームデビューを果たしたのは3月20日の神戸戦。4万人を超える観衆を集めましたが、スコアレスドロー。新潟のファンは熱心なことで知られています。

「勝ちたかったよ。でも、スタジアムが超満員になり、僕も応援してもらえて嬉しかった。ファンのためにもっともっと頑張ろう、という気持ちになった。本当に素晴らしいファンで、試合の日は町中がファンのオレンジ色のユニフォームで埋まり、あの大きなビッグスワンが満員になる。プレーしていて、とても励まされた」

――初ゴールは4月4日、アウェーの柏レイソル戦で、終了間際にあなたが決勝ゴールを決めてシーズン初勝利をあげた。この頃からチーム戦術になじめたのでしょうか?

「あのゴールと勝利は本当に嬉しかったから、今でもよく覚えている。柏のCKをGK野澤洋輔がキャッチしてすぐにつなぎ、シンゴ(鈴木慎吾)、ファビーニョと渡って僕が決めたんだ! ソリマチさんは戦術家で厳格な反面、人間味があった。たとえば(8月29日の)ヴィッセル神戸戦で僕も1点決めて4-3で勝ったんだけど、ゴール以上に守備で貢献したことを褒めてくれて、とても嬉しかった(笑)。以来、守備面でも貢献することを常に考えてプレーした」

ブラジル復帰、欧州挑戦ではなく残留オファーを受けたワケ

――ファーストステージでは14試合5得点だったが、セカンドステージは15試合10得点。合計すると、チーム最多の15得点をあげた。当時のJリーグのレベルをどう思いましたか。

「セカンドステージではチーム戦術に慣れ、チームメイトとの連係も格段に良くなった。それに、ブラジルの熱帯で生まれ育った僕は、日本の夏が苦にならないからね(笑)。日本人選手はテクニックがあり、よく走ることに驚いた。ただ、フィジカル面とプレーの強度には改善の余地があるかな、と思った」

――シーズン終了後、完全移籍のオファーを受けた。ただ、パルメイラスへ復帰してブラジル、さらには欧州のクラブで飛躍を目指す道も考えられた。

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