
【青森県の歴史を守った男】満身創痍の錦富士が勝ち越した日、妻は泣いていた
錦富士(29=伊勢ケ濱)が、青森県の歴史を守りました。西十両3枚目で臨んだ9月の秋場所は11勝4敗。11月の九州場所での再入幕を確実にしました。
青森県出身の幕内力士は、142年も途切れていません。ケガで全休した尊富士(26)は十両への陥落が確実な状況で、錦富士が幕内に戻ります。
首、肘など満身創痍の中、使命を背負って戦い抜いた15日間―。錦富士に今の思いを聞きました。
大相撲2025.10.22 06:00

「青森の誇り」
秋場所13日目、錦富士は元大関の朝乃山に勝った。

秋場所13日目、上手投げで朝乃山(左)を破る錦富士(撮影・宮地輝)
この一番で、審判に入っていた安治川親方(元関脇安美錦)は、錦富士についてこう語る。
「心が震えました。いい相撲だった。とんでもないものを急に背負わされてよく頑張った。土俵下で見ていて胸が熱くなり、涙が出ました。誇りに思います。これで青森の歴史も大丈夫。ねぎらいたい。頑張ってくれてうれしい。青森の誇りだと思います」
青森県出身の後輩へ向けた最大級の賛辞だった。

引退相撲で安治川親方(元関脇安美錦)の大銀杏にはさみを入れた錦富士(右)
あらためて、事情を整理してみる。
青森県出身の幕内力士は、1883年(明治16年)5月場所で新入幕となった一ノ矢以降、142年間も幕内力士が途絶えていない。
以下は、明治16年5月場所以降の青森県出身幕内力士の一覧表だ。

初代大ノ里の写真と2代目大の里の手形を持つ、初代大ノ里の一族の天内(あまない)司さん

横綱鏡里の土俵入り(1953年3月撮影)

初代若乃花の土俵入り(1961年11月20日撮影)

横綱土俵入りを披露する旭富士(1991年6月12日撮影)

断髪式に臨んだ貴ノ浪は、涙をこらえながら二子山親方(元大関貴ノ花)にはさみを入れられる(2005年1月30日撮影)
相撲王国の記録
秋場所の番付で、青森県出身の幕内力士は東前頭12枚目の尊富士のみ。7月の名古屋場所で上腕二頭筋を断裂したため全休し、次の九州場所では十両への陥落が確実。西十両3枚目の錦富士か、東十両12枚目の宝富士(38=伊勢ケ濱)が好成績を挙げて再入幕を果たさない限りは、記録が途切れる状況だった。

12枚目の宝富士は、もともと大勝ちしなければ上がれない番付だが、10日目に負け越した(場所後に引退)。事実上、錦富士に記録継続の望みは託されていた。
142年の記録は尊い。2位は茨城県の43年、3位は熊本県の11年。2位以下に大差をつけている青森県の記録は、不世出と言っていい。
これまでの横綱75人のうち、青森県は鏡里、初代若乃花、栃ノ海、2代目若乃花、隆の里、旭富士の6人を輩出してきた。「相撲王国」と呼ばれるゆえんでもある。

支度部屋で腕を組む初代若乃花(1958年3月21日撮影)
近年は青森県の相撲人口が減った影響もあり、今年の夏場所からは尊富士が唯一の幕内力士だった。
この背景を知ると、錦富士の偉業がよく分かる。
体がボロボロになりながらも奮闘した錦富士に、場所休み後の10月4日に取材した。
伸びない肘
―場所休みはどうされていましたか
秋場所が終わった瞬間から、寝れないぐらい首が痛くて、月、火は治療を受けて、水曜日は食事会があり、木曜日は宝富士関の引退があったんで、みんなでお花を渡したりしてました。その後は、僕らも家族で温泉行ってゆっくりして。金曜日はまた治療を受けました。

伊勢ケ濱部屋のインスタグラムから
―首の状態はいかがですか
場所中もほぼ毎日治療していました。多い時だと2、3カ所、掛け持つかたちで治療していました。場所中は、気も張ってるしアドレナリンも出てるんで、肘や足首も持ちこたえてくれました。終わった瞬間、安堵感もあって、朝から立てませんでした。右足首は、靱帯が3本切れてます。それをかばってたから、左の股関節も痛くて、立てなくて…。肘もロックがかかって、もう曲げ伸ばしができません。
首もずっと痛いんです。画鋲1000本ぐらいで背中を刺されながら、偏頭痛のズキズキが常にあるみたいな感じです。だからもう、治療しなかったらもうまともに日常生活を送れないなっていうぐらい、特に今場所は疲れました。

挙式を終えた錦富士は報道陣からの要請を受けて静香夫人をお姫さま抱っこする(2023年5月10日撮影)
金曜日になって、治療を受けて元気になったんで、家族のご飯を僕が作りました。場所前から場所中までずっと、奥さんが全部やってくれてるんで。料理するのじゃ嫌いではないので、家族サービスじゃないですけど、子供たちと一緒に過ごしてました。
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1996年入社。特別編集委員室所属。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。

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