2025年10月10日 午前7時30分
【論説】6世紀前半の古墳時代後期に福井県若狭町上中地域で築造された国指定史跡「下船塚古墳」が、墳丘の周囲に二つの濠(ほり)が巡る二重周濠(しゅうごう)を持つことが確認された。天皇陵とされている大王墓などを中心にみられる形状で、被葬者は越前出身の継体天皇を支えていた人物の可能性が極めて高くなった。若狭の古墳群に新たな歴史的価値を加える貴重な発見といえる。
上中地域は当時、畿内と朝鮮半島や九州への航海の玄関口をつなぐ最短路に位置し、交通の要衝だった。北川流域を中心に多くの古墳があり、下船塚古墳と南隣にある上船塚古墳をはじめ、脇袋古墳群の上ノ塚、西塚、中塚の3基の前方後円墳は国指定史跡となっている。特に西塚古墳などからは金製の耳飾りや鏡など多彩な副葬品が出土し、朝鮮半島と活発な対外交渉が行われていたことを示している。
二重周濠を持つ下船塚古墳は、若狭地方の大型前方後円墳の中では最も新しい。墳丘の全長も約85メートルと、若狭では上ノ塚古墳に次ぐ2番目の大きさで、脇袋古墳群の築造期である5世紀から続く若狭の支配者の継続的な発展をうかがわせるものだ。
下船塚古墳は、1994年度の県と旧上中町の調査で古墳北側に内濠があることは分かっていた。今回の調査では、花園大考古学研究室(京都市)が昨年12月に地中に電波を当てるレーダー探査を行い、外濠の存在の可能性が高まった。
今年9月に調査用に掘った溝(トレンチ)を調べたところ、濠の存在を裏付ける砂を多く含んだ土が下部に20センチほどたまっているのを発見した。埴輪(はにわ)の破片も見つかり、外濠の存在を裏付ける重要な根拠の一つとなった。
下船塚古墳造営の6世紀前半は越前出身の継体大王が天皇になった時期と重なる。地方出身ではただ一人の天皇で、中央と地方、中央と朝鮮半島との関係に大きな変化が起きたと考えられている。
同研究室の高橋克壽教授は、下船塚古墳について東海地方の断夫山(だんぷさん)古墳(名古屋市)、北関東の七輿山(ななこしやま)古墳(群馬県藤岡市)、九州北部の岩戸山古墳(福岡県八女市)などと並んで、日本海側最重要の古墳と位置づける。二重周濠の存在は政権と密接なかかわりがあったことを示すもので、被葬者が半島との交渉などで重要な役割を担っていたとの認識だ。
今回の発見を継続的な調査を行う起点とし、古代史の中で若狭が果たした役割をさらに深く考えたい。

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