公開日時 2025年09月07日 05:00更新日時 2025年09月07日 10:13

孤児の苦難、重なる戦後 我那覇宗雄さん(83)・沖縄市 孤児院の片隅で<読者と刻む沖縄戦>7
1945年ごろのコザ孤児院のイメージ図(沖縄市史編集担当、伊佐真一朗さん画)

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琉球新報朝刊

 1945年6月、現在の沖縄市住吉に設置されたコザ孤児院は、49年11月に開設される沖縄厚生園に統合され、4年5カ月の歴史を閉じます。

 幼い頃、栄養失調で次々と死んでいく孤児を目の当たりにした我那覇宗雄さん(83)=沖縄市=は「両親がいないことは子どもにとって地獄だった。本当にかわいそう。それでも子どもたちは我慢していました」と語ります。

 社会に出て教職の道を歩んだ我那覇さんが孤児院のことを語り始めたのは最近のことです。あまりに悲惨な孤児たちの姿に接し、言葉にするのもはばかられたのです。「生まれてこなかったほうが良かったのでは」とさえ思ったこともありました。

 80代になり「このままでいいのか」という思いに駆られるようになりました。各地の紛争地のただ中には厳しい境遇にある子どもたちがいます。我那覇さんは孤児院で死んでいった子どもたちを連想します。孤児院として使われた住宅を戦争遺跡として保存してほしいとも語ります。

 80年前のきょう、越来村森根(現在の沖縄市、嘉手納基地内)で日米両軍の降伏調印式が行われ、沖縄戦は正式に終結します。しかし、孤児たちの苦難はその後も続きます。それは今日まで続く沖縄の苦難とも重なります。

 2019年10月に始まった連載「読者と刻む沖縄戦」は今回で終了します。体験記を送ってくれた皆さん、自身の体験を語ってくれた皆さん、連載を読んでくれた読者の皆さんに感謝します。

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