川浪康太郎
2025/08/05
(最終更新:2025/08/05)

東北学院大の米倉希胤は間もなく「野球人生最後の夏」に挑む(すべて撮影・川浪康太郎)
「準硬式野球をいろんな人に広めたい」。東北学院大学の米倉希胤(まれつぐ、4年、仙台育英)は名門高校を卒業後、そんな思いを抱いて準硬式野球部に入部した。高校の同期には今秋ドラフト候補の伊藤樹(早稲田大学4年)や秋山俊(中京大学4年)ら、大学球界トップクラスの選手が名を連ねる。戦う舞台は違えど、同じ大学野球。米倉は8月21日に初戦を迎える全日本大学準硬式野球選手権大会で「野球人生最後の夏」に臨む。
強豪・仙台育英では挫折を経て「野球がうまくなった」
秋田県で生まれ、宮城県多賀城市で育った米倉は、小学1年生の頃に野球を始めた。以来、内野手一本。主に二遊間を守り、塩竈中央リトルシニアでは中学1年時から出場機会を得た。
宮城県内屈指の強豪・仙台育英には「ここに行けば野球がうまくなるし、可能性も広がるはず」との考えで進学。しかし、レベルの高い野球を目の当たりにし、入学直後に挫折を経験した。米倉は「すべてのプレーにおいて質が高かった。自分は初歩的なミスをたくさんしてしまっていたので、一からやり直さなければ周りのレベルに追いつけないと痛感しました」と当時を振り返る。

高校は「可能性も広がる」と信じて仙台育英へ。周りのレベルは高かった
自身と同じ二遊間には、1学年上でのちに東北楽天ゴールデンイーグルスに入団する入江大樹らがいた。「自分とは違う世界にいる……」。嫌でも周囲との比較を繰り返した。
それでも、基礎を徹底したことが功を奏し、2年春と3年夏はベンチ入りを果たした。背番号16を背負った最後の夏は宮城大会の4回戦で敗れ、甲子園には届かなかったものの、米倉は「自分的にはやり切った。同級生に恵まれ、楽しく、かつレベルの高い競争の中で野球がうまくなった」と完全燃焼した。
大学では1年春からレギュラー、生かした「自主性」
高校卒業後は同期に硬式野球の継続者が多い中で、準硬式野球を選択した。自身の体の大きさや技術力を客観的に分析した上で「弱気な気持ちが芽生えた」のも事実だが、最終的には「広めたい」という前向きな理由で新たな一歩を踏み出した。
東北学院大準硬式野球部は全国優勝1回、準優勝7回の実績を誇る全国常連校。激しいレギュラー争いの中、米倉は1年春からレギュラーの座をつかみ取り、打率3割7分、11盗塁をマークして新人賞と最多盗塁賞を受賞した。
すぐに順応できた要因の一つが、硬式、準硬式を問わず大学野球では欠かせない「自主性」の高さだ。高校3年時、須江航監督に直談判して学生トレーナーを務めた。プロのトレーナーに教わりながら体の作りや体調管理、食事に関する知識を学び、チームメートのトレーニングメニューを組んだ経験が、「いかに最大限のパフォーマンスを発揮するか」を考える習慣の定着につながったという。

高校時代に学生トレーナーを務めた経験が、今にもつながっている
「人生初」の主将に就任、一人ひとりにLINEで意思確認
その後も中心選手であり続け、最終学年では「人生初」の主将に就任した。4年生で主将を決めるミーティングを開いた際、当初は誰一人、手を挙げなかった。多数決で決める流れになったが、ある懸念が米倉の頭をよぎった。「後輩たちを引っ張る一番上の立場の人間が中途半端な気持ちで主将になったら、このチームはいつまで経っても全国常連校止まりだ」。気づけば立候補していた。
米倉は準硬式野球を始めて以降、どこかで選手間の「熱量の差」を感じていた。全体練習は週2、3回で、野球に対するモチベーションはさまざま。仙台育英で過ごした充実の日々とのギャップに戸惑い、「本当にここに来てよかったのかな」と思い悩む時期もあった。
主将としてチームを引っ張る上では、その差を縮める必要がある。そこで、LINEを使って部員一人ひとりに「どういう気持ちで野球をやっているのか」「どんな活躍をしたいのか」といった質問を送り、本音をぶつけ合った。「説得しても人は動かない。納得してもらおう」。そう考え、意見が食い違っても徹底的に話し合い、できる限りすり合わせるよう努めた。次第にチームは一つになり、今春もリーグ戦を制して全国への切符を獲得。米倉は名実ともに頼れる主将となった。

ラストイヤーで「人生初」の主将に立候補、部員一人ひとりと向き合った
大学日本代表にも選出された伊藤と秋山の活躍ぶりには「樹は高校時代に自転車で一緒に帰ったり、家に遊びに来たりしていて、今でも仲が良い。秋山は自分たちの代では唯一(高校3年時に)プロ志望届を出して、当時は指名されなかったけど、見返す気持ちを持って大学で頑張っている。野球の面では見習わないといけない部分が多いし、すごいなと思います」と賛辞を贈る。硬式野球の第一線を走る2人の姿は輝いて見えるが、米倉も選んだ道で輝き続けてきた。
全国大会で16年間の集大成へ「有終の美を飾りたい」
準硬式野球の注目度や盛り上がりについて、米倉は「徐々に高まってきていると感じていますが、それでもまだまだ普及していない。『初めて(競技名を)聞いた』という声をよく耳にします」と話す。近年は甲子園球場で「全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦」が開催されるなど、話題を集める機会も増えたが、依然、硬式野球には及ばないのが現状だ。
「全国の舞台で自分たちが良い結果を残して、球場に来た人やSNSで見た人に準硬式野球の良さを広めていけるよう頑張ります」。米倉の最大のモチベーションはやはりそこにある。同時に、今夏の全日本大学準硬式野球選手権大会は野球人生最後の大会になる。「16年間野球を続けてきて、一度も嫌いになったことはありません。いざ辞めたら寂しくなると思いますが、だからこそ有終の美を飾りたいです」。今年にかける思いは人一倍強い。

準硬式野球の良さを広めることが、米倉にとって最大のモチベーションとなっている
「希胤」という名前には、両親の「いつまでも希望を持ち続ける人に育ってほしい」という願いが込められている。そんな両親をはじめ、これまで支えてくれた人たちに「一番良い報告をしたい」とも意気込む。「強豪にも対抗できるチームづくりをしてきた自信がある。楽しみな気持ちが大きいです」。一球、一瞬に16年間のすべてをぶつけ、未来への希望を灯す。

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