今回は街を歩いている時にふと感じた、「洗脳的」なマーケティング方法について日本とカナダを比較してみました。トロントはカナダ最大の都市で日本で言えば東京に相当する存在です。しかし街中に流れる音楽の量や使われ方を比較すると、両者の間には大きな違いがあるように感じます。

日本、特に東京では、音楽は生活のあらゆる場面に溶け込んでいます。例えば、渋谷センター街や新宿では流行のJ-POPやK-POPが常に流れ、駅のホームには発車メロディ、コンビニやスーパーではその企業オリジナルのBGMや季節の曲が使われていますよね。電車やコンビニ、スーパーなどに関しては東京のみならず地方でもよく見受けられる光景ではないでしょうか。そして無意識のうちに人々はそれらの音楽を耳にし、記憶に刷り込まれています。故にCMソングはその時代を彩る存在にもなったり、ファミリーマートの入店ミュージックは海外の方にとって日本を彷彿とさせる有名なミームの1つになりました。

一方トロントの街を歩いていて耳にするのは、露店から漏れる音楽か、鳥のさえずり、行き来する人々の会話程度です。ダンダススクエアや地下鉄の駅など、人の往来が多い場所ですら意図的に選ばれた音楽が常に流れていることはほとんどありません。CMソングもあまりなく、電車の発着メロディーすらありません。その静けさは心地よくもありますが、「音楽を使って人の感情や記憶に残す」という文化が根づいていないことにある種の物足りなさを感じてしまいました。

この違いは、音楽が持つ「洗脳的な力」としてのアプローチの差だと考えます。日本では、音楽が人々の購買意欲や記憶に影響を与えることを熟知したうえで、音楽を商業的に、そして日常的に活用しています。店頭で流れる曲がヒットを後押しし、企業のテーマソングがブランドイメージを形成する。これは音楽が一種の「マーケティング装置」として機能しているからです。対してトロントでは、 あくまで街と音楽の関係はゆるやかで、個人のイヤホンの中に閉じているようにも見えます。

トロントに住んでみて、都市における「音楽の存在感」が大きく異なること、そして音楽マーケティングは文化的背景や都市設計に深く関わっていることに気づかされました。どこで・誰に・どう届けるか。東京のように音で「空間を演出する」アプローチと、トロントのように「個人の選択に委ねる」スタンス。この対比から、グローバルなマーケティング戦略を立てるうえでも、音楽の使い方にはその土地ならではの文脈が必要不可欠だと実感しました。

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