香港のホテル「グランドハイアット」のボールルームに今年1月集まった政府関係者や規制担当者らは、中国が送り込んだ香港金融の責任者、祁斌氏が、香港市場を活性化させる計画を明らかにした際、その発言に驚きを隠せなかった。

  中国政府の駐香港連絡弁公室(中連弁)副主任、祁氏(56)が提示したコーポレートガバナンス(企業統治)などのテーマに関する提案自体は目新しいものではなかった。だが、香港金融セクターの運営方法について、ここまで詳細な処方箋を中国本土の当局者が語るのは極めて異例だった。

  これは香港経済の中核とも言える金融に対する中国のスタンスの転換を示していた。これまで中国は香港統治を強化してきたが、金融業は比較的手つかずのままだった。

  この変化は、米国との間の金融面でのデカップリング(分断)懸念が高まる中で、香港が中国にとって国際資本への玄関口として果たす重要な役割をあらためて浮き彫りにしている。

  昨年11月に中連弁副主任に就任した祁氏は、米ゴールドマン・サックス・グループで働き、規制・投資担当の幹部を務めたこともある。

  その断定的なスタイルは、香港で一部当局者の反発も招いている。祁氏の考えに賛同する者でさえ、香港金融界で自らの影響力が失われつつあることに懸念を抱く。

  祁氏のスピーチは、香港で一般的に話されている広東語ではなく標準中国語である北京語で行われた。出席者はスピーチ原稿の全文を求めて殺到し、翌日には地元紙の1面を飾った。

  2カ月後、祁氏は、英HSBCホールディングスが開いた年次会議で、今度は流ちょうな英語で外国の銀行関係者や投資家、要人たちを前に同じような講演を行った。

Key Speakers At The 2017 Milken Conference

祁斌氏(2017年)

Photographer: David Paul Morris/Bloomberg

  中連弁入り後、祁氏は金融界の関係者と定期的に面会し、新規株式公開(IPO)やコーポレートガバナンスなどのテーマについて規制当局に提案している。ただし、香港当局は中連弁の直接的な監督下にはない。

  この記事は、祁氏と交流のあった関係者十数人への取材に基づいている。関係者は匿名を条件に話した。祁氏本人は取材に応じなかった。中連弁は声明で、地元経済に関する質問は香港政府に問い合わせるよう求めた。

ストックコネクト構築

  祁氏が初めてのスピーチで呼びかけたのは、香港を市場規制と取引の低コスト、コーポレートガバナンスの面で世界最高水準にする改革の工程表と期限の設定だ。

  さらに祁氏は、スイスのダボスで開催される世界経済フォーラム(WEF)年次総会のようなサミットを香港で開催すると明らかにし、波紋を呼んだ。

  このイベントは当初、6月26、27両日に開かれる予定だったが、地政学的な情勢が流動的だとして延期された。

  香港財経事務・庫務局の報道担当者は電子メールで、新たな日程は追って発表すると説明したが、それ以上のコメントを控えた。

  それでも、祁氏がこうした助言を行うのにふさわしい人物であることを疑う者はいない。祁氏が米国で受けた教育やウォール街での経歴は、中国本土の一般的な当局者とは一線を画しており、歓迎されている。

  中連弁の鄭雁雄主任に支える副主任は5人。そのうちの1人である祁氏は、かつて中国の政府系ファンド(SWF)、中国投資(CIC)で副最高投資責任者(CIO)を務めた。2016年にCICに加わり、総額1兆3000億ドル(約189兆円)規模のファンドによる米国中西部の工場などを含む海外直接投資の拡大を任された。

  香港投資ファンド協会のサリー・ウォン最高経営責任者(CEO)は、祁氏の「洞察は国際金融センターとしての地位を強化するため自己改革を続ける香港にとって、極めて貴重な視点を提供してくれる」と述べた。

  祁氏が今年行ったスピーチは、政治的な意味合いが一部で過剰に解釈されているとウォン氏は指摘。中国政府は「『一国二制度』の原則を堅持する姿勢を一貫して示している」との見方を示した。

  もともと科学を学んでいた祁氏は、米ロチェスター大学で生物物理学の修士号を得たが、その後、真に関心があるのは米国の経済システムだと気付いたという。

  そして自由市場経済学研究の拠点として知られるシカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスで経営学修士(MBA)を取得することを決意。ノーベル賞受賞者のマートン・ミラー教授らの下で学んだ。

  シカゴ大を卒業後、祁氏は1998-2000年にゴールドマンに勤務。「オルタナティブ・インベストメント・マネジャー・セレクションズ」部門のアソシエートとして働いた。

  2000年に中国に戻り、証券監督管理委員会(証監会)に入ると、そこで16年間にわたりファンドや金融イノベーション、リサーチを担当。証監会在職中に、清華大学で中国資本市場における機関投資家の発展とボラティリティーおよび効率性を研究し、博士論文を完成させた。

香港を重要視

  この頃、祁氏は香港でも知られるようになった。香港と本土の株式市場を結ぶ「ストックコネクト」を立ち上げる交渉において、証監会側の責任者を務めた。

  祁氏は、ウォール街で実務を経験しただけでなく、熱心な文筆家でもある。トランプ政権1期目の米中貿易戦争や資本市場の動向について、中国メディアで頻繁に意見を発信してきた。

  香港で新たな役職に就いてからは、主要銀行や金融関係者、規制当局、弁護士、商工会議所にまで声をかけ、コーヒーブレークやランチ、ディナーを共にしている。

  中国政府で金融の交渉窓口を務める人物からの招待に、ほとんどの人が驚いたという。祁氏はこうした会合を通じ、資本市場や上場、取引、香港の金融センターとしての地位について人々の意見を聞いて回った。

  関係者によると、祁氏はバンカーや中国の役人のようではなく、大学教授のような雰囲気を持っているという。

  ある面会では、条件が整えば、さらに多くの中国企業の香港上場を促すよう中国政府に働きかける案も示されたと関係者は説明。また、香港ドルと米ドルのペッグ(連動)制への中国の支持が揺るぎないことも明言していたという。

  祁氏の中国政府内での立場を考慮し、一部の外国企業は面会が持つ意味合いを警戒していたが、それでもやり取りは建設的かつ安心感のあるものだったと関係者は打ち明けた。ただ、祁氏が具体的な約束をすることはなかったという。

  アジア証券業金融市場協会(ASIFMA)で株式・取引後業務責任者を務めるリンドン・チャオ氏は、祁氏のチームが北京側のカウンターパートとの橋渡しを申し出たと明らかにした。

  「中国政府が香港を国際金融センターとして重要視しているという明確なシグナルであり、信頼感を醸成する助けにもなっている」とチャオ氏は述べ、「中国当局との対話を通じて、香港が金融関連政策においてより独立性を示し、国際金融センターとしての正当な地位を世界に示すことが望ましいと理解している」と語った。

  4人の関係者によれば、祁氏は着任以来、香港証券先物委員会(SFC)および香港取引所と定期的に会合を開いている。祁氏は個人的な提案も当局に提出しているという。SFCと香港取引所はコメントを控えた。

  20年に国家安全維持法(国安法)を香港に導入した中国は、香港の統治を一段と強めており、今では香港当局が主要な金融関連政策を変更する前に北京に報告するのが通例となっている。

  これに対し、ストックコネクトの構築時には、最初の協議開始に当たり北京側の事前承認は必要なかったと、関係者の2人は述べている。

  西洋経済学の中心で教育を受けた祁氏は、自由市場は中国の計画経済と共存できるとの立場だ。大学機関誌とのインタビューで、「完全に自由な経済というものは存在しない」と語り、ほとんどの国には規制があると指摘。

  「結局のところ、自由度の問題だ。中国の事例は、シカゴ学派の考え方が段階的かつ現実的に機能するという一例だと思う」と話した。

原題:Ex-Goldman Banker Leads China’s Push to Revive Hong Kong Finance (抜粋)

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