また、オリヴァはクライアントごとにリスクと利益を比較して判断しているが、トランスジェンダーのクライアントで、提出書類の性別が出生時の性別と一致しない場合、「虚偽申告または詐称」と見なされ、ビザを拒否されるリスクがあると懸念を示す。その場合、終身で米国への入国が禁止され、特別な免除申請が必要になるという。

憧れと現実のジレンマ

それでもアーティストたちが米国ビザを取得したがるのには理由がある──収益と文化的影響力だ。

「正直なところ、多くのアーティストは米国をツアーして初めてブレイクするんです」と語るのは、バンクーバー拠点の弁護士カート・ダールだ。「人口は10倍いるし、メディア露出や注目を集める可能性も高くなります」

また彼によると、アーティストに限らず、ほとんどのカナダ人が国境を越えることを再考しているという。ただし、ファンの8割が米国人というクライアントもいるのが現実だ。

「みんな、自分のソーシャルメディアや携帯の中身を問題になりそうなものがないか確認して、ある意味で賭けのような感覚で渡米しようとしているんです」

加えて、ツアーの地理的事情もある。カナダでは次の都市に行くのに10時間以上かかることもあるが、米国ではより多くの都市を短期間で回ることが可能だと彼は言う。

変化を強いられる夢のかたち

トマソンは、トランプ政権の国境政策によって、自分たちが「何年もかけて積み重ねてきた」目標を見直さざるをえなくなっていると言う。トランプが大統領である限り、米国に入国するつもりはないとしており、仮に入国してツアーを望んだとしても、パスポートの性別欄を「男性」に変更しているため、ビザ申請は拒否されるだろうと考えている。

「多くのアーティストにとって、ニューヨークやロサンゼルスといった都市でキャリアを築くのが最終的な目標なんです。だからこれは、夢そのものをまるごと変えさせられるような話です」。彼はまた、「やっと築き始めたばかりだった米国のファンとのつながりが断ち切られてしまうことに、本当に悲しさを感じている」と語る。

ラーセンもInstagramに、自身のアルバム『Blurring Time』を「自分の物語に共感してくれる米国のクィアやトランスジェンダーの人々に届けたかった」と投稿した。このアルバムには、トランジション前後の自分の声が織り交ぜられているという。

収入源の穴埋めのため、トマソンはカナダの芸術団体に対して、トランスジェンダーのアーティストの支援に特化した新たな資金調達の仕組みをつくるよう訴えている。しかし彼は、これはカナダのトランスジェンダーアーティストに限った問題ではなく、世界中のトランスジェンダーにとって、さらに広範な問題になるだろうとも語っている。

「これは、一国の政府が、他国の政府発行書類の正当性を否定するという行為です」と彼は言う。「それがトランスジェンダーの人だけで済むと思っているなら、それは間違いです」

(Originally published on wired.com, translated by Eimi Yamamitsu, edited by Mamiko Nakano)

※『WIRED』によるLGBTQ+の関連記事はこちら。

Related Articles

Image may contain: Flagトランスジェンダーの若者に関する米政府データ、消去の危機。研究者たちの“救出作戦”

米国のトランスジェンダーの若者に関する政府データが危機にさらされている。研究者や市民が、削除前に情報をバックアップしようと動き出している。

A game controller with a broken wire exposing pink, white and blue wires.ゲーム業界にも波及? 反トランスジェンダー政策への懸念を抱く開発者たち

メタ、グーグル、アマゾンといった企業がトランプ大統領の指示に追随し、多様性推進の取り組みを撤回している。そんななか、トランスジェンダーやジェンダークィアのゲーム開発者たちは、すでに厳しい状況にある業界がさらなる影響を受けるのではないかと危機感を抱いている。

Portrait of a person with mobile phone. Concept of communication in social media with friend . Selective focus トランプの大統領令後も、マッチングアプリはLGBTQ+コミュニティの貴重な避難所であり続ける

トランプ大統領が性別は2つのみとする大統領令を発令た。そんななか、OkCupidやFeeldなどのマッチングアプリは性自認の選択肢を維持する姿勢を示している。こうしたアプリは、引き続き多様性が認められる、デジタル空間における貴重な避難所となる可能性がある。

トランスジェンダーのミュージシャンたち、米国ツアーを中止。トランプ政権による標的化を回避

雑誌『WIRED』日本版 VOL.56
「Quantumpedia:その先の量子コンピューター」

従来の古典コンピューターが、「人間が設計した論理と回路」によって【計算を定義する】ものだとすれば、量子コンピューターは、「自然そのものがもつ情報処理のリズム」──複数の可能性がゆらぐように共存し、それらが干渉し、もつれ合いながら、最適な解へと収束していく流れ──に乗ることで、【計算を引き出す】アプローチと捉えることができる。言い換えるなら、自然の深層に刻まれた無数の可能態と、われら人類との“結び目”になりうる存在。それが、量子コンピューターだ。そんな量子コンピューターは、これからの社会に、文化に、産業に、いかなる変革をもたらすのだろうか? 来たるべき「2030年代(クオンタム・エイジ)」に向けた必読の「量子技術百科(クオンタムペディア)」!詳細はこちら。

WACOCA: People, Life, Style.