この下に追加情報が載せてあります。Additional information appears below this.
弥助に関する現在分かっている1次資料を全て紹介します。
Here are all the primary Japanese documents currently known about Yasuke.
特に英語圏に向けて英訳を付けてますが、私の英語力は高く無いため、間違いがあると思われます。その点はご了承下さい。
My English is not very good, so there may be mistakes. Please understand that and view this video with that in mind.
この動画の内容の転載は許可されています。
All reproduction of the content of this video is permitted.
※追記 (Additional information)
動画内の「ペット」という表現に対して、複数のネガティブなご意見を頂いております。
この部分に関しては日本人の感覚を完全に代表してないことをここに追記させて頂きます。
信長の弥助への対応は決して非人道的なものではありませんでした。
I have received several negative comments about the use of the word “pet” in the video.
I would like to add that this part of the video is not fully representative of Japanese sensibilities.
Nobunaga’s handling of Yasuke was not at all inhumane.
※英訳へのコメントからの修正案(Proposed amendment to translation based on comments)
・「decorated short sword」→「decorated dagger」が適切ではないか。
・「the Cathedral of Padre in India」→「the Christian temple (in Japan)」で傍にあった南蛮寺。
・「slaves」と複数形になっている(完全に間違い)。奴隷に投石や重傷者が出たように誤解される。
→On the Monday following Easter, Nobunaga was in the capital, but there was a great commotion as many people
gathered in front of the monastery to see the black slave, and some in the mob were wounded by stones thrown and some nearly died.
※英訳の修正案(Proposed amendment to translation based on internet)
・「飽きることなく」は前文にかかるのでは( https://note.com/just_eel601/n/n5bdd8116f483 )
Nobunaga himself was astonished to see him, and could not easily believe that he was a native black man and had not been inked.
So Nobunaga never tired of looking at him again and again.
The slave spoke a little Japanese, so Nobunaga had a conversation with him, and since he was powerful and could do a few tricks,
Nobunaga was very pleased with his abilities.
・「飽きることなく」はもっと広くかかるのでは(同上追記)
信長自身も彼を見て驚き、生来の黒人で墨を塗ったのではないことを容易には信じられなかった。
そして信長は何度も見返しても、また少し日本語が話せた彼と会話しても、あるいは信長が好みの良い技を披露しても十分満足できなかった。
Nobunaga himself was astonished to see him and could not easily believe that he was a native black man and not inked.
And Nobunaga was not satisfied enough to look him over often, or to converse with him, who could speak a little Japanese,
or to demonstrate good skills that Nobunaga liked.
※コメントからの補足(Proposed amendment to explanation)
・信長公記は「しんちょうこうき」と読むのが正式だそうです
・「十人力」は「10人居れば1人は居る:人並」の意味もあるそうです
・「名をハ号弥助」は「名をば弥助と号す:弥助と名付けた」だそうです。8号さんじゃなかったw
・「健やかに器量なり」は正確には「健康で体格が良い」だそうです
・「インドのパードレの聖堂」は傍にあった日本の「南蛮寺」だそうです
※謝辞
コメントへの返答が追いつかなくなってきました。訂正叱咤激励ありがとうございます。
※おすすめ動画
What Japan ACTUALLY Thinks about Assassin’s Creed Shadows, Yasuke and Thomas Lockley
※より詳細な解説と英訳爆誕!。オススメ
弥助関連史料とその英訳 / English translated historical documents related to Yasuke
私の英語訳とは違うので、比較検討にもどうぞ
信長公記(我自刊我本):https://dl.ndl.go.jp/pid/781194/1/27
家忠日記:https://dl.ndl.go.jp/pid/772514/1/54
1581年イエズス会日本年報(Luis Frois):https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/101 , https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P662.html
1581年イエズス会日本年報(Lorenzo Mesia):https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/127 , https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P680.html
1582年イエズス会日本年報(Luis Frois):https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/164 , https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P744.html
50 Comments
動画の説明文に追加情報が載せてありますので、「…もっと見る」から一度見て頂ければ幸いです。
Additional information is included in the video description, and we hope you will take a look once you click on “…more”.
以下同じ追記です
※追記 (Additional information)
動画内の「ペット」という表現に対して、複数のネガティブなご意見を頂いております。
この部分に関しては日本人の感覚を完全に代表してないことをここに追記させて頂きます。
信長の弥助への対応は決して非人道的なものではありませんでした。
I have received several negative comments about the use of the word “pet” in the video.
I would like to add that this part of the video is not fully representative of Japanese sensibilities.
Nobunaga's handling of Yasuke was not at all inhumane.
※英訳へのコメントからの修正案(Proposed amendment to translation based on comments)
・「decorated short sword」→「decorated dagger」が適切ではないか。
・「the Cathedral of Padre in India」→「the Christian temple (in Japan)」で傍にあった南蛮寺。
・「slaves」と複数形になっている(完全に間違い)。奴隷に投石や重傷者が出たように誤解される。
→On the Monday following Easter, Nobunaga was in the capital, but there was a great commotion as many people
gathered in front of the monastery to see the black slave, and some in the mob were wounded by stones thrown and some nearly died.
※英訳の修正案(Proposed amendment to translation based on internet)
・「飽きることなく」は前文にかかるのでは( https://note.com/just_eel601/n/n5bdd8116f483 )
Nobunaga himself was astonished to see him, and could not easily believe that he was a native black man and had not been inked.
So Nobunaga never tired of looking at him again and again.
The slave spoke a little Japanese, so Nobunaga had a conversation with him, and since he was powerful and could do a few tricks,
Nobunaga was very pleased with his abilities.
・「飽きることなく」はもっと広くかかるのでは(同上追記)
信長自身も彼を見て驚き、生来の黒人で墨を塗ったのではないことを容易には信じられなかった。
そして信長は何度も見返しても、また少し日本語が話せた彼と会話しても、あるいは信長が好みの良い技を披露しても十分満足できなかった。
Nobunaga himself was astonished to see him and could not easily believe that he was a native black man and not inked.
And Nobunaga was not satisfied enough to look him over often, or to converse with him, who could speak a little Japanese,
or to demonstrate good skills that Nobunaga liked.
※コメントからの補足(Proposed amendment to explanation)
・信長公記は「しんちょうこうき」と読むのが正式だそうです
・「十人力」は「10人居れば1人は居る:人並」の意味もあるそうです
・「名をハ号弥助」は「名をば弥助と号す:弥助と名付けた」だそうです。8号さんじゃなかったw
・「健やかに器量なり」は正確には「健康で体格が良い」だそうです
・「インドのパードレの聖堂」は傍にあった日本の「南蛮寺」だそうです
12:07 世子というのは信忠の事だよね?
つまりこの時、弥助は本能寺ではなく二条御所に居たと…。
そこへ明智の軍勢がやってきて、信忠も自害。
取り残された弥助が「来るな!来るなぁぁ!!」的に長い間抵抗していたので
「怖がる事はない。その刀をこっちへ寄越しなさい。」という事では?
とても興味深く観させていただきました。
私見も現実的で非常に納得しやすかったです。
私がYouTubeで日本・海外で得た情報をコメ欄に書かせていただきますので、よろしければ見てみてください。
歴史つよつよマンではありません。
むしろ私は逆の人です。
丁寧に史料を集めた労は素晴らしいが、最後の「私見」は間違ってるし余計。
「侍としての上位武士地位」←こんなこと言っちゃってるから、この人、侍の歴史まったく理解できてない。「侍」=「上位武士」
ってのは平安時代の発想で、「侍=武士」の戦国時代は完全に崩壊してる考え方だよ
初めて弥助を知ったときのことを思い出しました!実際どうだったのだろうと、思いを巡らせるのは楽しいです。本人が今を知ったら、どんな顔をするでしょうね。きっかけはさておき、歴史に興味を持つ人が増えることは、なんとなく嬉しいです。情報提供、感謝しています。
信長は弥助を奴隷としたわけでは無いと思います。当時の武士の郎党には軍役の義務の有無で明確な区分けがあり、一番下が下人と呼ばれていた下働きの人。その上が中間で中間は武士と下働きの中間の人で、戦があれば荷物持ちなど主人に付き従い雑役を担い主人と共に戦うこともありました。短刀と扶持、住む所を与えられたなら、弥助は中間として召し抱えられたのでしょうから明確に奴隷ではないと思います。
豊臣秀吉の伴天連追放令は正しい。イエズス会による日本人奴隷を暴け。
器量が良いという描写ありましたが、体格が良いという事であるとの解釈もあったと思います
資料を端的にまとめて説明するのがほんとに上手だと感じました
欲を言えば、最近よくある元寇時の鎌倉武士に関して、一次資料が存在しない全く根も葉もない俺つえー的な馬鹿げた解説が横行しているので、検証してほしいです。
黒人奴隷が流行していた云々の話は本能寺の変以後だと思われます。
信長が弥助を召し抱えた後にすぐ在庫を補充出来るようなものでもないですからね。
信長公が弥助という屈強な黒坊主を召し抱えている(orいた)そうだぞ、すげーなー、当家でも召し抱えたいなーってなって南蛮商人や宣教師に依頼して、新たな日本語の出来る黒人奴隷を連れてこさせてって相当時間がかかると思うんですよね。
なのでおそらく信長死去以降でしょう。信長への挑発にはならないと思われます。
ちなみに私は黒人奴隷流行を肯定しているわけではありません。
ロックリー氏の著作が本当だったらと仮定しての話です。
また該当箇所はロックリー氏の著作の物語部分に記載があるのでロックリー自身がこれを創作だと認めるでしょう。
のふながこうき→しんちょうこうきですよ
資料画像があれば尚良いと思いました
本当に第三者の意見は大事ですよね、ある人は一次資料でこれしかないことなのにそれを500ページぐらいに書けるのは別な意味ですごいしちゃんとフィクションってつけてほしいですね
相撲取りとして抱えたと考えると録やそう巻、十人に勝る(実際に10人を勝ち抜いた)など納得しやすい仮説になると思います。
浜田参議院議員がこの件について国会図書館宛に質問していますね、7月31日が返答期日だったと思います
なんで弥助がいつのまに武士とか日本が奴隷を推進したとか海外で勝手に言われてるんだと思ってたが、日大の教授やメディア、出版社が捏造して外国に流布していたんだな….恐ろしい話だよ。
こうして見ると アサクリの弥助ってまるで流行りの転生ものみたいだな
「異世界に転生したらペットから侍になった件」
Tonoじゃなく、Tomoだろうね!
いいね!社会人らしい塾れたプレゼンだ!
ペット扱いという言い方は弥助ではなく信長に対する侮辱
弥助は武士と呼べるような立場でなかったことは確実だが、信長は明かに人として扱っている
まとめありがとうございます。
いろいろ考えると一番問題なのは「侍」という言葉が「武器を以て戦う人」を指す言葉として一人歩きしてしまっていることかもしれません。
我々日本人でも「侍」という言葉を聞くとそう思ってしまう位なので、より限定的な情報しか持っていない国外にとっては
もはや疑う余地もないほどそういう捉え方をしてしまうのでしょう。さらにそこに「高貴な」という装飾まで付加されてしまい英雄視されてしまう。
正確な言葉を用いて議論するならば「弥助は武器を以て戦う人として信長に仕えたのか?それ以外の職として仕えたのか?」ということなんですよね。
最初の方の英訳で黒奴をblack slavesと複数形にされているのは何故でしょう。複数形だと奴隷貿易で沢山の黒人奴隷が連れてこられたと主張する外国の輩も居ますので心配です。これは結構重要な点と思いましたので念のため。
信長から居宅に上下、太刀に給料100石貰った弥助以上の待遇の相撲取り達が小人(小者)です
信長家臣として秀吉も最初は小者
それを侍と呼ぶかどうか
士分ではないですね
ロックリーの小説?妄想本を真実と思ってた外人はこれ見たら卒倒するだろ。ただのおもろいペット相当。侍でもなく、将軍でもなく、神でもなく、伝説の人物でもない。
こんなもんメディア化するとか恥ずかしくて末代まで笑われるレベル。
ただの荷物持ちが息子のところへ逃げて武器もって暴れるって日本人だとしてもおかしくないかなあ?
結局奴隷持ってきたキリスト教の人権問題だけが事実であって
日本というか信長が初めて見た人種なんで俸禄与えて身内にした
≒奴隷から武士では無いけど給料貰って働いて貰ったという話
むしろキリスト教が人権問題の諸悪の根源だって現実以外無いのでは・・・?
「奴隷」ってワードはキツ過ぎる気がします
折り紙で「奴さん」ってパターンがあるけど、その雰囲気の方が似合うそうな印象を持ちました
「信長様のとこの黒ヤッコ来るってよ!」「すげえな見に行かなきゃ!」的な人気者だったのかなと
素晴らしいです。ただ外務省が黒人”侍”のキャンペーンをやったそうです。外務省がどういう文章をキャンペーンで使ったかは問題です。X 池田信夫氏 ”「黒人侍」を海外に売り出したのは外務省だった”。在モザンビーク大使、池田敏雄氏の写真と展示物の画像があります。
これでどうして、黒人奴隷制度は日本が発祥ち主張できるのか? 主張するものは何らかの政治的あるいは詐欺的な意図を持っていり活動家なのでは?
やっぱり弥助は物珍しさからトロフィーとして侍らせてたイメージですね。
ヨーロッパでいう小人症の宮廷道化師的な?
Good
どなたか英語Wikiの修正出来ませんか?いまだにサムライであると明言しております。https://en.wikipedia.org/wiki/Yasuke
信長が弥助に付き添い人付けて町を歩かせたのって、意外と黒人への対応の仕方を人々に教える意図があったようにも思う。南蛮人ども奴隷扱いしてるけど、日本人は真似しちゃダメよっていう。宣教師史料に「信長は厚く庇護しており」って一文があるのを考え合わせると。
Thank you for making this video. It is very informative.
すばらしい内容だと思います。
ありがとうございます!
…器量也、は器量がよいでなく、26~7歳の牛のように黒く健康的な見目であった、ですね。
あぁ、ロックリーもこれで見目の良い、と勘違いしたのかな?
Its amazing considering so little historical documentation that some white leftist professor managed to write a 400 page novel which so many consider historical fact.
弥助はどう頑張っても荷物持ちくらいでしかないですわな。
ボディガードですらない。
ナニこの無修正動画...弥助修正主義者が興奮しちゃうでしょw
これ話題は面白いですね。私はアメリカ人ですと私は日本語を勉強するからNegiMoeの助けはありがとうございます。
大変な作業、どうもありがとうございます
引用元資料の名称も英語表記しておいたほうが良いかと思いました
とても良い動画でした。ありがとうございました。ただ一つだけ、奴隷という言葉は安易に使わないほうがいいと思います。あらぬ誤解を与えることがありますので。
I think it's fine that some people misunderstand this story right now. The recent controversy just goes to show that no stone is left unturned forever.
Although it's disappointing to see how many of respected organizations are not being as good as there reputation. (Whether or not the text is true, BBC or encyclopedia should not reference a historical fiction book. It's like arresting someone guilty but using fake proof.)
Furthermore, not everyone, but many people can see the deception and suspicious aspects.
Therefore, it's great if we focus on the actual information and avoid insults and attacks. We can't control how people see it. Those people probably didn't know much before and will not know much in the future either. In the past, there have been many misrepresentations in movies and games but those did not survive for long, indeed nowadays many people seem to be misguided by anime, rather than foreign fiction.
情報を集まり動画を作ってありがとうございました。
こういった 情報の列挙は ありがたく 思います。
しかし
海外の方 頑なな方々が多く
言っている 内容を 考察推測すると
日本語 特に古典 読めないから 刀剣ワールド等の ネットのホームページ 情報得て 本気に成ってるのかな そんな風に感じます。
このように幅広い視聴者に向けて情報をまとめていただき、本当に素晴らしいお仕事で感謝します!
おそらく一番大きい間違いかもしれないのは、12:06の弥助が二条新御所で信忠といっしょに戦ったと解釈できてしまう部分で、STSTさんの”黒人侍”弥助と本能寺の変 ー 宣教師の記録にあることとないこと②をご覧になるとわかるのですが、フロイスの史料では世子と内裏を明確に区別しているため、弥助は妙覚寺にいて信忠と一緒に戦っていません。
>D daisy 妙覚寺で女中衆と一緒に隠れてた弥助くらいにしか読めないけどな、アレ -個人的にはこのコメントに近い印象です。よく戦っていたというのもフロイスのキリスト教アゲ異教徒サゲ話、教会破壊の危機や家康と併記された神の奇跡話の3つのうちの1つで奇跡度を盛った誇張の可能性もあると思ってます。これはSTSTさんのnoteにも「又」で並列表記されている文脈が説明されています
明智軍が信長親子を殺した後の周辺の残党狩りで妙覚寺の弥助が投降するなら生存の辻褄もあいます。間に合わなくて別の寺に行った松野平介のような弥助と似た状況の別家臣も、明智方に投降要請されるも拒否して切腹したことが称賛されています(信長記)。金子先生の著書でも尊経閣文庫の弥助創作の根拠として言及されていた、松田毅一先生著書の「黒人はまごまごしているうちに捕まってしまった」という記述も御所戦闘説と矛盾するように思います
特にご注意いただきたいのは最近褒めてらした英訳ブログで、弥助が御所にいて戦ったことにされています。御所戦闘説をXで指摘されて関連ポストを削除した岡先生とやりとりしていて、他にも史料というよりは根拠のない話を取り込んで色々願望めいた物語になりつつあるように見え危険な兆候に感じています。おそらくNegiMoe様と逆の趣旨のブログになっている気がするので、一度内容をご確認いただいて宣伝動画を残されるかはご検討なさった方が良いかもしれません
Hey, thank you for your informative video!
1663年 家忠日記
1691年 尊経閣文庫
本能寺の変から80年後に初めて弥助って名前が出るんだけど、どの写本にも名前が載ってないのに、いきなりこの2冊だけ弥助と言う名前がある。誰が伝えたか家忠日記で弥六と混同して捏造したものを尊経閣で写本したか。弥助と言う名前すら怪しいのにな。
ポルトガル語原文の本能寺の変の時の弥助に対するイエズス会の記述が黒人蔑称であるcafreなので日葡辞書を見る限り弥助の身分は高くないですね。
ポルトガル語原文がコインブラ大学にデジタルアーカイブされてるんですがURLを貼れない設定になっている様で投稿が消えてた。
まずは原典にあたれが人文科学の基本で、こんな風にリードして頂くと、作業が早く進みます。どうもありがとうございます。
これから原典を読みます。