生きる力と居場所を音楽で…東日本大震災の翌年発足 相馬子どもオーケストラの高校生「今度は自分が支える」【つなぐ、つながる】|TBS NEWS DIG

[音楽] 力強い色を奏でているのは福島県相馬市に ある相馬子供オーケストラ [音楽] です市内の6歳から18歳の子供85人が 所属してい ます色々な曲をくところが楽しい ですのが気持ちいいというか 楽しい高校2年生の志里 さん大きい音でなんか迫力があるのが すごい面白いっていうか楽しい な相馬市で生まれ育った島 さんお気に入りの場所を案内してくれまし た ここは相馬のいとかをやる場所で桜の時期 とかは部活の先輩とお花見しに来て思い出 です伝統行事相馬のいの出陣式が行われる 場所そこから少し登った小高い丘から 見渡す相馬の街並 あそこが私の通ってる高校でうん部活をし ていたりすると太鼓の音とかガキの音が 聞こえてきてすごい幸せな気持ちになれ ますしかし13年前の 東日本大震災穏やかな日常が一変しまし た 志さんは3歳で当時のことはよく覚えてい ませ ん中学生高校生になって広い目で相を 見れるようになってからは海側の方は深刻 な被害を受けてたんだなっていう風にそこ で知りましたやっぱり津波の来る映像とか を初めて見た時はなんか本当にこれがそな のかなってに思うことはありまし た相馬の海はあの 日町は高さ9.3M以上の津波に飲まれ 相馬市では458人が亡くなりまし た海岸線ほとんどが津波で飲み込まれてい ます そして福島第1原発の 事故政府は半径2020km以内に住む人 に避難指示を出し20kmから30km 以内には屋内退避を指示しまし た放射線量が高くなったことから福島県内 の一部の学校では屋外活動を制限した時期 もありまし た 原発から30km以上離れた相馬市には 避難に関する指示は出ていませんでした が直接的には言われてないんですけど やっぱり外で遊ぶことは少ないかったのか なって思い ます島さんの母親は原発の事故のことも気 にしながら小さい子供を持った親は本当に 公園で遊ばせられないも土とか葉っぱとか 触らせられないっていうのすごいピリピリ しながら子育てをして た震災の翌年に発足した相馬子供 オーケストラ コーラス原発事故による心や体への影響が 心配された子供たちが音楽を通して生きる 力を手にできるようにという願いが込め られてい ます 活動費のおよそ34を相馬市が出し残りは 個人や企業の寄付で 運営子供たちは全国から送られた楽器で 練習しプロの指導を無料で受けてい [音楽] ます世界的に有名な団との共演 も 生れ [音楽] まし小学の時に演奏会を見て自分も挑戦し たいとコーラスを始めたし さん今ではオーケストラと両立してい ます音楽に打ち込んで得たことがありまし たな性格だったんですけれ いん人と関わるようになってから結構自分 を持てるようになってきたかなっていう風 には思って ますオーケストラを立ち上げた菊川さんは 音楽を楽しむだけでなく居場所でありたい と話しますこの子ってその震災があって あのいろんなことを1経験した中で音楽な んだけれどもただそれだけじゃ 場所としてだからそういうこう彼らにとっ てのその帰る場所がここにあるってのはま それはすごくいいことなんじゃないかなと 思うし多分それをきっかけにあのどんどん あの新しいね自分の人生を切り替えてて くれるんじゃないかなと思い ますオーケストラが発足した時の子供たち は今それぞれの道を歩み始めてい ます 大学進学をきに子供オーケストラを卒業し た清信介 さん全然引いてないのばれちゃうんです けど8年間ビオラを引いていまし たこれが俺なんです けど8歳の時に震災を経験 [音楽] 高校生の時には悲しい言葉をかけられた ことがありまし た中学旅行に行った時に他の学校の生徒に 話しかけられてどっから来たのって言われ たらでなんか後ろの方で友達が福島って 言ったらえ被爆してんじゃん来たなみたい なこと言われておおそんなこと言うんだと 思ったりですごいなんか楽しい修学旅行 だったんですけど初日がすごいなんか ちょっと悲しい気持ちになったことは覚え てます ねでもそんな時も音楽がいつもそばにあり まし た清信さんが子供オーケストラで得たこと はその頃が一番うかったんじゃないです か継続する力とかなんか諦めない力とかを すごい学ぶことができたかなと思いました 実際親に続けろてあの背中押されてから 続けられたのもあるんですけど演奏が全部 終わった後に聞いてたところを立ってお客 さんの方向いた時に拍手を送ってくれたり とかも見ることができてあの瞬間はすごい 好きでし [拍手] た今は看護師を目指して勉強する傍演奏会 で裏方の仕事を手伝っています これから始める子たちに音楽を通して楽し さを学んでってほしいかなと思いますね それがきっと自分の中で大きな財産になる と思うん [音楽] でこの曲はソマに古くから伝わる民用ソマ 本歌をオーケストラ向けにアレンジした ものです コンサートで定番となってい ます高校2年生の志里 さんずっとそまで育ってきて帰る途中とか でお帰りって声をかけてくれたりたとか人 が温かいなっていう風に思ってい て相馬で暮らす島さんにとって今年1月に 起きたの半島自身は人言ではありません でし た自分の周りで起きた震災の記憶がない分 その石川県での地震 がなんかすごい自分ごのように思え てもう少し経った後に石川の方で演奏が できたらすごいいいなっていう風に思い ます音楽で変わったという島 さん今度は自分が子供たちに楽しさを伝え たい将来は音楽の教師を目指してい ます

東日本大震災の翌年発足した福島県相馬市の「相馬子どもオーケストラ&コーラス」。原発事故や震災の影響を受けた子どもたちが音楽を通じて「生きる力」を手にできるように、相馬の子どもたちの「居場所」となるように──。子どもたちが、オーケストラを通して得たものを取材しました。

■震災当時3歳だった高校生「本当にこれが相馬なのかなって」

福島県相馬市にある「相馬子どもオーケストラ&コーラス」には、市内の6歳~18歳の子ども85人が所属しています。

小学3年生(バイオリン)
「いろんな曲を弾くところが楽しいです」

小学6年生(フルート)「1つの音楽になった時が気持ちいいというか、楽しい」

高校2年生島聡美さん(17)「大きい音で迫力があって、面白いというか楽しいなって」

相馬市で生まれ育った島さんが、お気に入りの場所を案内してくれました。

島さん「ここは『相馬野馬追』などをやる場所で、桜の時期は部活の先輩と花見に来た思い出があります」

伝統行事「相馬野馬追」の出陣式が行われる場所。そこから少し上った小高い丘から見渡す、相馬の町並み。

島さん「あそこが私が通っている高校で、部活をしていると、太鼓の音や楽器の音が聞こえて、幸せな気持ちになれます」

しかし、13年前の東日本大震災。穏やかな日常が一変しました。島さんは3歳で、当時のことはよく覚えていません。

島さん「中高生になって、広い目で相馬を見られるようになってからは、海側は深刻な被害を受けていたんだなって知りました」「津波の来る映像を初めて見た時は、本当にこれが相馬なのかなって思うことがありました」

2011年3月11日、街は高さ9.3m以上の津波にのまれ、相馬市では458人が亡くなりました。

そして、福島第一原発の事故。政府は、半径20km以内に住む人に避難指示を出し、20kmから30km以内には屋内退避を指示しました。

放射線量が高くなったことから、福島県内の一部の学校では屋外活動を制限した時期もありました。

原発から30km以上離れた相馬市には、避難に関する指示は出ていませんでしたが…

島さん「直接的には言われていないけど、外で遊ぶことは少なかったのかなって思います」

島さんの母親「原発の事故も気にしながら、小さい子どもを持った親は公園で遊ばせられない。土とか葉っぱとか触らせられないって、すごくぴりぴりしながら子育てしていた」

■願い込めた「音楽を通して生きる力を手にできるように」

震災の翌年、2012年に発足した「相馬子どもオーケストラ&コーラス」。

原発事故による心や体への影響が心配された子どもたちが、「音楽を通して生きる力を手にできるように」という願いが込められています。

活動費の約4分の3を相馬市が出し、残りは個人や企業の寄付で運営。

子どもたちは、全国から贈られた楽器で練習し、プロの指導を無料で受けています。ベルリンフィルなどの世界的に有名な楽団との共演も。年代の違う子どもたちの交流が生まれました。

小学生の時に演奏会を見て、「自分も挑戦したい」とコーラスを始めた島さん。今ではオーケストラと両立しています。

音楽に打ち込んで、得たことがありました。

島さん
「内気な性格だったけど、色々な人と関わるようになってから、自分を持てるようになってきたかなって思います」

オーケストラを立ち上げた菊川穣さんは、「音楽を楽しむだけでなく、居場所でありたい」と話します。

エル・システマジャパン菊川穣代表理事「ここ(相馬)の子って、震災があって、色々なことを人一倍経験したなかで、音楽なんだけど、それだけじゃない、居場所として。彼らにとって帰る場所があることは、すごく良いことなんじゃないかなと思う。それをきっかけに、どんどん新しい自分の人生を切りひらいていってくれるんじゃないかなと思います」

■悲しい言葉をかけられた時も、音楽がいつもそばに

オーケストラが発足した時の子どもたちは、今、それぞれの道を歩み始めています。

大学進学を機に、子どもオーケストラを卒業した清信有佑さん(21)は、8年間ビオラを弾いていました。

8歳の時に震災を経験。高校生の時には、悲しい言葉をかけられたことがありました。

清信さん
「修学旅行に行った時に、他の学校の生徒に話かけられて『どこから来たの?』って言われたから、友達が『福島』って言ったら、『え、被ばくしてるじゃん、汚い』って言われて。そんなこと言うんだって思って。楽しい修学旅行だったけど、悲しい気持ちになったことは覚えています」

でも、そんな時も、音楽がいつもそばにありました。清信さんが、子どもオーケストラで得たことは。

清信さん「継続する力とか、諦めない力を学ぶことができたかなって。実際は親に続けろって背中を押されたのもあるけれど、演奏が終わった時に立ってお客さんが拍手を送ってくれる、あの瞬間はすごく好きでした」

今は看護師をめざして勉強するかたわら、演奏会で裏方の仕事を手伝っています。

清信さん「これから始める子たちには、音楽を通して楽しさを学んでほし…(https://newsdig.tbs.co.jp/list/article?id=jnn-20240308-6143724)

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