https://estar.jp/novels/25697808
「味噌の味はうちらの世界のと同じだね」
味噌汁にネギとか白菜の中に猪の赤い肉が見え隠れしている。俺は夢中で汁から見つけて肉ばかり食ってしまった。
「今度牛丼作ってもらおうよ」
「そもそも砂糖がないから、牛丼は無理だろ。醤油の味が強い牛丼が出てくるぞ」
「いや、それでもいいっすわ。毎日食べたいべ」
 瑠璃は畳み掛けるようにいってくる。
「牛は大事な耕作機なの。だから、そんなに食ったらダメなんだよ」
「じゃあ、毎日猪肉でいいよ、先生」
「猪が山から消えるわ」
 俺は呆れて酔眼を瑠璃に向けた。
「おおこわ……じゃあ、焼き魚で我慢するわ」
 瑠璃がため息まじりに言った。そして未練がましそうに胸をみる。
(牛乳でも飲ませるかな)
「ところで信長に瑠璃の絵を送りたい」
「はああ、冗談だしょう。うちのお師匠の絵でいいじゃない」
 瑠璃は予想通り、断ってきた。でも、そんなことで引き下がる俺じゃない。
「いや、お前の近代的な絵画がいいんだ」
「何を描くんだべ」
 俺の気迫に押されたのか、瑠璃が折れてきた。元教師の威厳ってやつだろうか。
「俺が蹴鞠をやってるとこを迫力満点に描いてくれ」
 蹴鞠どころかフットサルもサッカーもやったことがなかったのに、俺はこの世界では蹴鞠の名手だった。プロリーグがあれば、さっさと駿河の太守なんて辞めてしまいたい。
「信長さん、新し物好きだったね、どうせなら漫画っぽくしようよ」
 俺は瑠璃の大胆さに舌を巻いた。
「その発想いい」
「じゃあ、適当に漫画風でまとめるわ」
 瑠璃は右手の親指だけたてて、外人みたいに仕事を請け負った。
 
 俺は瑠璃に翌日蹴鞠を側近たちとプレイする姿をデッサンさせた。同時に、美術に素養がある者を堺に派遣して油絵の具を買わせる。それを瑠璃に自由に使わせた。

 完成した瑠璃の絵はぶっちゃけ絵画じゃなく、屏風に描かれた漫画と言えた。空間はコマ割で分割されている。
 最初のコマは、俺がボールを睨むスポーティーな横顔。次は逆光で毬が青空をバックに空で浮かぶ場面。その後は毬に向かって華麗なステップで落下地点に俺が移動する姿。
 全てのコマが遠近法を使って、立体的かつ写実的に描かれていた。圧巻なのは毬が右足に捕らえられる五番目のコマ。じっと見てると、屏風からバシュッっと毬を蹴る音が聞こえてきそうなほど、迫力があった。
(これは信長を誘いだせる)
俺はその絵を見て、自分の妄想が現実に変化する確かな手応えを感じた。
「でかしたぞ、瑠璃」
「こ、こんなんでいいの?」
 瑠璃のきょどった返事が可愛いかった。
「ったりめえだって。誰も見たことねえ、アートだべ」
「まあ、美大の試験じゃ、絶対落ちるだろうけど」
「まあな」
 俺は元教え子の頭を優しく撫でてあげた。

「屏風に津波の絵を描いて、相馬に送ろうと思う」
 俺は信長と元康が帰国してから瑠璃にそう告げた。
「久しぶりに絵師、瑠璃様の出番だべな」
瑠璃は嬉しそうに言って、引き受けてくれた。
「まあ、こっちは頼む立場だからインパクトある贈り物がいいかなっておもってさ」
「だべだべ」
瑠璃はただの津波だけじゃ意味がないってことで、それを背景に元康から借りてきた鷹を描き始める。製作には半年掛かった。その期間瑠璃はあまりエッチさせてくれなくて、俺は側室を持とうか真剣に考えたが、やめた。瑠璃を傷つけたくないから。

「なかなかの出来栄えですな」
絵が完成すると元康が三河からわざわざ見学にきた。と、思ったらうるさい嫁も連れてきた。瀬名である。
「お屋形様、せっかく信長を倒したんだから、京を目指さないんですか?」
相変わらずアグレッシブな嫁である。こいつが信長のクビを刎ねようと主張して、諦めさせるのが大変だった。
「京は興味ないんで」
俺は素っ気なく言った。上洛して他の大名の嫉妬受けて、袋叩きにあいたくない。
「なんで、相馬なんて田舎者相手にするんだか」
瀬名は相変わらず美人だが、鼻もちならない女である。でも、歴史が変わって彼女が死なずに済んで俺はとても満足していた。真相を知ったらさぞかし、そのナメた態度を後悔することだろう。

瑠璃の完成された絵を四人で鑑賞する。絵はちょっと北斎のパクリっぽいが、大波を背景に力強く飛翔する鷹はインパクト十分だった。
いつものようにナガレで四人で酒を飲みだす。丁度桜の季節で庭に毛氈をひいて宴会が始まってしまった。「氏真殿、瀬名の言い方は乱暴ですが、京にのぼることも考えませんと」
元康がためらってから言った。
「あああ、全国鷹狩大会主催したいんだよな」
「まさにその通りです」
元康は当たり前だという顔で答える。確かに同盟の条件に鷹狩バカを満足させる条項が入っていた。
「それ、元康が京で単独でやってくれない」
「やはり氏真殿は石碑が重要であると」
「そ、そうなんだよねえ」
俺は申し訳ないって気持ちを表すつもりで、元康の盃になみなみと酒をついであげた。
「京のミカドか将軍に相馬に手紙を書いてもらえばいいんじゃないですか」
瀬名がまた余計なことを言う。
「必要ねえよ、費用送れば石碑作ってくれるって」
「そんな意味不明な頼み断りますって」
根拠もなく瀬名が俺のプランにケチつける。
「俺は上洛の費用と貴人に会う気苦労を回避したいだけ」
「駿河の太守様はケチですわねえええええ」
瀬名がまた嫌味を言うので、軽く睨んでやった。元康と瑠璃は無視して桜を見ながら和気あいあいと絵の話で盛り上がっている。やばい、平和すぎる。全てが順調だ。あとは相馬が石碑を了承すれば、いよいよ瑠璃と教師と教え子の間柄を超えた禁断の子づくりライフがスタートする。

数日して相馬から手紙が来た。あろうことか、屏風の絵を受け取りながら相馬は石碑建設を断ってきた。いよいよ瀬名のプランBに乗らざるをえなくなる。

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