Y染色体で考えた場合に縄文系が多いのに、ミトコンドリアDNAで考えたら弥生系が多いという。それは何故なのか。
今回も『日本人のルーツと成り立ち』について解説します。前回のやり残しのようなテーマですみません。
~日本人のルーツと成り立ち~
~縄文系男子が多いのに弥生系女子が多い理由について考えてみた~
なお、動画の中でいろいろな考え方を示したりしていますが、それが答えというわけではなく、まだまだ、みんながいろいろと考える余地があるテーマとご理解ください。
#日本人,#日本人のルーツ,#Y染色体,#ミトコンドリアDNA,#旧石器,#縄文,#弥生
21 Comments
ケイロレピス君!可愛い。
着眼点がすげー
流石、ハレルージュ(^^)
歯に衣着せない良い方だと、イケメンの男女は人気が高い(^^)
小生、そっちも負け組ですから😭
デソニア人と漢民族とのレポートと読みましたけど、妖精のようなデソニア人には、メロメロだったんだろ?と(^^)
インド系とインド系の混血もイケメンのイメージ強いのは、小生だけ。
七五三の行事なんかでも、男子の生存率は低く、成人後の力仕事、女性の長寿を考えると、女性の人口は、多かった?
専門家の意見待ちでしょうけど、
混血する方が、免疫力強化されて、生き残れる?
のかも、しれませんね。
逆の近親婚は、遺伝子エラーがでますし、古代中国の城塞都市では、塀に囲まれてるので、近親婚が増え遺伝子エラーは、周知の事実だったとのレポートを読んだ事ありますよ。
2年前?でなかったかな?日本人バイカル起源とか言ってた素人が困惑した状態で言ってたな。O2系を予想してたがDがでたので。また多様なミトコンドリアもそうだったな。w 一万年前辺りで日本列島が形作られるがそれまでは狩猟採集の大陸系が日本列島にも居た。が大型哺乳類が間もなく列島では消滅していく。大陸では常だが更に食料難で過激化し一つの鹿の取り合いで部族間戦争が簡単に起きる。で負けた部族の女性群が一分奴隷になり殆ど逃げる。普通は奴隷で生き延びれるが食糧難の列島では殲滅を意味した。逃げた人たちの避難民が空腹で餓死の寸前に海岸で貝とか魚、タコとかで主な生計を立ててる縄文人に保護される。で女性子供はその部族に吸収された。ミトコンドリアには色々なタイプがあり一つ違うだけで今で言うイギリス人ハーフと日本人の違いになる。で古代のDNAで違いを論じてるがミトコンドリアが同じでの比較は良いがそこを無視する素人研究者はたとえ生物学専攻の歴博?学者でも一般化できず意味がない。特にサンプルが少ない古代人骨ではそれが唯一の手段。沢山あれば統計学的意味はあるが。特に東北は顕著で急速に狩猟民女性は縄文系に吸収されオホーツク由来のミトコンドリアN9が大量に縄文人化した。オホーツクは新しすぎるなw中国では現在の北朝鮮と満州にアルタイ諸部族とウラル諸部族のルーツと説明してる。日本の古代学より中国の史観が進んでると思う今日この頃。6千年前~8千年前にだな。この辺りで最古の弥生式土器が鹿児島に出、1000年後辺りに中国遼寧省の遼河文明に出土しこの担い手はYDNAがタイプNでこの土器がセーブルロード沿いに出てフィンランドまでつながる出土である。西洋では縄文期土器?とかになってたな。食文化ていうのは簡単には特に男性は変えられない。トランプが日本の料亭よりハンバーグが美味しいと思う気持ちの100倍以上であれば狩猟民も海の幸の中で餓死するのだろう。
こらこら、こら~!
俺が思ってること全部言いやがった。
何か問題を見つけて文句コメントしようと思ってたのに、全部その通りだよ!
ところで、年寄りはジョークですか?こちらはそろそろマジですが、
お節の通りなら、確かに日本人起源の大問題です。小生の知識では、集団の遺伝子比率は、基本的に時代を超えて不変です。その理論が正しければ、日本のように外的騒乱と無縁の社会で、男女の遺伝系統の比率がこれほど異なることはあり得ず、むしろ、既存の系統分類が誤っていることになります。系統分類は、遺伝子の変化率の差から系統分岐のの年代を割り出すと理解していますが、これも調査数の制約を受けるので不完全な推論しかできないのでしょう。弥生人の渡来以降何らかの性選択が働いたとの説は、お説のとおり、無いと思います。
その昔、竹内 久美子女史の著書「パラサイト日本人論」という本で石器時代の段階で女児の間引きをやっていた形跡がある。と読んだ覚えがあります
天然自然の状態だと有り得ない不自然な男性優位な男女構成になるとか、そんな状態で天候不順や疫病で元から少ない女性も減って圧倒的な女性不足が起こって(以下略)なことでもあったんですかね?
自分もいろいろ考えたのですが、男女の比率が2:3あるいは1:2とかで
女性比率が多かったのであれば説明がつくような感じがします。
出生は男子のほうが5%くらい多いのですが、女性のほうが感染症などに対する
免疫機能が強いことから、女性のほうが人口が多くなります。
現代では単に女性の高齢者が多くなるだけですが、古代では乳幼児死亡率が高く
成人した女性は男性よりも多かったと思います。平均寿命も30才程度でしょうから
成人女性のほぼ全てが生殖可能だったはずです。
次に土着の縄文人が多数を占める中、長期間に渡って大陸から弥生人の小集団が
渡ってきたと思います。弥生人の小集団はおそらく親戚とかで近親交配は避け、
先住の縄文人との融合が進んだと思われます。
このとき、縄文人男性と弥生人女性のカップルの確率が高くなると思います。
早速の取り上げありがとうございます。グレーゾーン含めてちょっと調べてみたのでご報告。妄想満載ですが悪しからず。
—————–旧石器—縄文——弥生-(青谷)—現代———————————————————————————————————————————M7a————–●———◎———△——–3%——–7%——–4万年前に九州へ渡来、日本列島を西から東へ北上し全てカバー(D1a2相当)
M7b————–?———?———〇——13%——–4%——–大陸沿岸~中国南部(香港一帯の広東語圏)(番号の古さでC1a1相当に指名)
N9b————–●———◎———△———×———-2%——–3万年前に北海道へ渡来、南進するも中部で止まる(C2a2相当)
D4b2————-×———-●———△———×———-7%——–D4の古い時代のサブグループで鬼界カルデラ前後に渡来か(O1b2‐47z相当)
D5—————–×———-▲———〇——–3%——–5%——–長江上流域に多い、四川省。特に漢民族で頻度が高い(O2相当)
A——————▲———〇———△———×———-7%——–アメリカ先住民,シベリアが起源、7000年前の北陸縄文で15%(Q相当)
G——————▲———〇———△——–3%——–7%——–シベリアに多く中国北部が起源。北海道縄文で11%、北陸縄文で8%(C2相当)
B4—————–×———-●———〇——–6%——–9%——–中国南部で誕生し東南アジアにかけて人口比で多いグループ(オーストロネシア語族)
B5—————–×———–×———●———6%——-4%——–ミャンマーに多い。日本から出るのはほぼB5b系統
F——————-×———–×———▲———×———-5%——–東南アジアで最も多くの人が該当するグループ(O1b1相当)(オーストロアジア語族)
M10————–×———–×———●———×———-1%——–最も多い国がチベットで人口の8%。(D1a1相当)中原へ進出した羌族?
D4(×D4b)–×———–×———◎——-45%—–25%——–中国中部起源の稲作の民(O1b相当)
N9a—————×———–×———●——-15%——-5%——–中国南部や台湾先住民に多く、弥生時代の北部九州に多い(O1a1相当)
M8a————–×———–×———●———×———-1%——–「中国漢民族」を特徴づけるグループ(O2のシナ・チベット語族相当)
M9a————–×———-●———●———3%——-1%——–チベット高原起源~インドシナ半島へ。北陸縄文人から23.1%(D1a1相当)
C1—————–×———–×———●———3%——–微——–「遊牧民族」中央アジア、モンゴルに多い(C2相当)
Z——————-×———-▲———△———×———1%——–ロシアの北極海沿岸~カムチャッカ。中国の古代文明を担った(N相当)
ベタ●は渡来時期で▲は予想含む、◎は多く、〇は中、△は少量。現代の足りない分はその他。( )は相方のY染色体を想定した。
①旧石器時代から縄文時代にかけて渡来したDNAは実は多いということを裏付けていて、これだと縄文/弥生比率が半々になる。
②弥生時代後期のの青谷上寺地遺跡の古人骨の比率が既に現在の比率にかなり近く、この時点で渡来しつくしていることを示唆。
③右の出自や傾向から見ても、青谷上寺地には8割方親子関係のないmtDNAを持つ女性が、アジアの様々な地域から渡来している。
もしも朝鮮半島から渡来したとして、それらが半島に存在していることも、この狭い青谷上寺地に一同にいること自体が謎。
④考古学的遺物や遺跡は38000年以降たくさん見つかるのに、日本の土壌が酸性のために古い人骨が溶けたり化石化してDNA調査が進みにくいことで、旧石器時代から縄文早期の人骨のサンプル自体がほとんどなく証明が難しい。
Y‐DNA的には8000年前頃から縄文人(D1a2、C1a1)と中国の江南人(47zの親のO1b2‐K10)と沿海州人(C2)、遼河人(N)で交易がはじまり、その結果日本海交易の中継拠点として出雲や半島南部の釜山地域などの必要性ができた。それによって縄文人も朝鮮半島や大陸へ住む集団もでてきた。逆もしかり。
ところが縄文時代前期の7300年前に鹿児島付近の鬼界カルデラによって、西日本が大打撃を受け東日本へ人口が偏った。その後しばらく経ってから、空いていた西日本へ江南地域のO1b2‐47zや沿海州からの渡来人が少数やってくる。
そして、それぞれの地域ではお互いの土器製法や名産品が影響を受けあって曽畑式土器や壺型土器、甕のように大陸の影響を受けた物が作られるようになる。
5000年前頃に縄文海進が引いたことで海辺での魚貝類の消費が増え、縄文時代の人口が26万人とピーク(貝塚もピーク)に達する。だが縄文時代後期の4000年前頃からの地球規模の寒冷化によって三内丸山文化や長江文明が滅び、3000~2500年前には餓死や病気によって日本の人口が76000人程度まで減ってしまう。
この時期は中国の春秋戦国時代の戦乱期にあたり、中国大陸では男性が殺されて女性の未亡人が大量に増える。
そうした背景の中で日本への渡来人がやってくるわけで、とても人口の少ない朝鮮半島にこれだけ色々なハプロタイプを持つ女性がいて日本へやってきたとは思えない。
そこで当時の中国(漢代)ではシルクロードなども活用した「奴隷貿易市場」があったのではないかという考えが浮かんできました。
倭人が貿易ではなく人さらいするのは、いろんな場所へ移動して拉致するのは費用対効果が悪く、それよりも既に奴隷市場があって稲作や織物の経験者を要望して集めてもらって、それをいっきに船に乗せる方式だと比較的実効性があると考えた。
それらをいっきに集める業者とお金の代わりに、現代のダイヤモンドに匹敵する翡翠の原石や勾玉製品などの高級装飾品などと物々交換して連れてきたのではないだろうか。そうやって稲作や織物などの進んだ知識をもった渡来女性が日本各地へさらに妾として売られたり嫁いで行き、日本中へ広がったのではないかと考えた。その方式なら比較的早く労働力人口も増やせる上に、日本中へ大陸文化が伝達できるのではないでしょうか。もちろんそういう人が一人いるだけで、在地の縄文人も稲作のやり方や機織りなどを周囲から学びに来てさらに加速させることが可能になります。
この仮説が真であれば、現在のY‐DNAが縄文系の男性の比率が多い理由も説明できるのではないでしょうか。
つまり渡来人の全体数もこれまで言われたほどには多くはなく、しかも渡来人男性よりもアジアのあちこち出身の渡来人女性が多く来て稲作をエンジンにして人口が増えたからだということで自分なりにしっくりきてます。ただし異論は認めます。
Y染色体ハプログループてO1b1は縄文に入っているのですか?
てっきり倭族のタイプで弥生系だと考えていました。
日本の場合、隣大陸の戦乱で大量の難民が移り住んで来た印象があるので多種多様な民族が混ざり合い現代日本人の様になったのだろうと推察していますが、男は何かと命を落としやすく、戦争では全滅させられる事も古代ではあったのでしょうね。
しかし女性がその様な偏りがあるならば、学者先生の分類の線引が変なのか、単に弥生系女子が人気があって子孫が沢山残せたのか、繁殖能力が縄文系女子より秀でていたのか謎ですよね。
あと、縄文系男子と弥生系女子が多産系ということも考えられませんか?
縄文人はかなり広い範囲で交易をしていました。
遺伝子は多様だったと思います。
感服いたしました。O-47zが縄文系というのは、鋭い見解だと思います。逆にD系統の相当数が渡来系である、などと見込んでいる専門家もいるというのに。
2018年、金沢大学の覚張隆史氏の論文では、伊川津貝塚から出土した縄文人女性の核DNA解析の結果が明らかにされています。それによると、アンダマン諸島のオンゲ族(D系統)を直接の子孫とする系統と、台湾のアミ族(O1a系統)を直接の子孫とする系統との混血で、その割合は約45%:55%であるそうです。
また、2019年の東大理学部・渡部裕介氏らの論文では、現代日本人のY染色体解析から縄文~弥生のハプログループ構成を推定しており、当論文では第二系統群とされるO1系統の縄文時代における人口比率は14%程度と算出されています。
もしかしたら数年後には、O-47zが縄文系ということが学界でも一般に認知されているかも知れませんね。
最後キャシャーンか(笑)
祖父は蔣介石母は鄧小平父は韓国俳優嫁はジュディオング似です。叔父は顔が小さく手足の長い長身です。
縄文人を日本人の祖先と定義付けするならば、縄文人(日本人)が大陸人よりカッコ良かったから。
と言うのが、一番、自然な考え方です。基本世界の歴史において、自虐史観は有りません。
現在の大陸国家のような、あからさまのプロパガンダ歴史は少ないものの、大概は自国優位(他国より優れているという自己満足)史観です。自虐史観を持っていない者も日本人は公平・公正を歴史に求めようとしますが、日本があまりお好きでない者達が言う様に、勝者の歴史、支配者の歴史という事は否めません。すべてがそうではないが、やはり当時の自国に都合が悪い事柄は、記録されないでしょうし、現代科学でも、科学的根拠を揺るがすような不都合な真実は無視される傾向です。
歴史は、そう言う意味で、極めて政治的な記録なのです。
ついでに、半島人が騒ぐのは、彼らのルーツを遡ると、大陸人と何ら変わりがない歴史の浅い国が現在半島に住んで居るからです。もともと半島には全く人々が生活していた痕跡が無い時代が存在しており、それ以前の人々と現在の人々が完全に入れ替わっているのであるが、それを認められないというメンタリティーなので、彼らの言う歴史は益々ファンタジー化するのであります。
日本周辺にプロパガンダとファンタジーの歴史観がある国が多いので、日本人の自虐史観と合わさって、日本の歴史が歪められているというのが実情であるし、学者や研究者には日本が好きでない者が圧倒的多数なのでしょう。であるから、教科書の弥生系9割という数字に成るのです。
日本人がカッコいいという啓蒙でもした方が、余程、本当の歴史に近づくのでしょう。
これは謎ですね
大陸では、侵略と支配によって民族が淘汰されるのが基本なので、日本の学者は、9割が侵略した弥生人だなど、結論ありき解釈して学説化した様ですね
mtDNAの方が弥生人比率が高いとされているのは、変異が多くて多様な解釈が成立するのに対し、それを結論ありきで解釈して学説化した時代が古いからではないでしょうか
旧石器捏造事件と同じ構図ですし、邪馬台国畿内説も万世一系説も同じ構図です
Y染色体の場合、時代が新しく、客観性も高いので、結論ありきで歪む余地がない、正しい解釈になっているのだと思います
C1a1とかのC系統は、北方騎馬民族由来ではありませんでしたか?
D系統の原住民、O系統の倭人、C系統の天孫支配者の順に日本に来たとすると、いろいろ辻褄が合う気がします。
魏志倭人伝に「其俗國大人皆四五婦 下戸或二三婦」と有るじゃ無いですか。
多くの女性が大陸から輸入され、日本海沿岸から陸揚げされたという事でしょう。
成人男子の奴隷というものもありますが、古代においては、女性や子どもが圧倒的に多かったと思う。
成人した男は、頭固いので奴隷という境遇や新しい風習になじみにくいし、暴れたら危険で管理が大変です。
日本においては、輸入した女性でも気に入れば自国の女と同じ扱いで妻にし(高貴な血筋の女性は別)、海外では性的欲求を満足させる女奴隷のままで妊娠しようと課した仕事は遂行させるし、産まれた子供も奴隷という扱いの違いがあっただけ。
多くの国では、同国人であっても女は男の財産で家畜と同じ扱い。
売られてきて、大人クラスに気に入られ妻にされた女性にしてみれば、自国の男が自分の妻や娘に対するより遙かに大事に扱われ、産んだ子まで奴隷では無く大人の子として遇されるなら、そら貞淑で嫉妬心を出さない振る舞いをすると思う。
まあ~、何人もの妻を持てるのは大人階級か主要部族の構成員だけだったと思う。
半島には、長きに渡り倭人が沢山住んでいたわけで、混血し他民族の遺伝子を取り込んで再移民してくる集団もいただろうし、弓月氏のように高い職能技術を持っている集団が自分たちの技術を売り込んで引き受けを求ることもあるし、勢力争いに敗れた一族が亡命を求めてくることもあり、そこそこの大集団でやって来ることも沢山あったと思うし、千年という期間と、生存して次の子孫につなげる確率が生粋の縄文人と同じぐらい高かったというのもあったと思う。
朝鮮半島は、大陸での勢力争いに敗れた難民が常に流れ込んでいたし、半島内で高句麗など諸民族との戦いもしょっちゅうあって、今日の糧のため妻子を売る者や捕らえられ奴隷として売られる者も常時発生していたので、日本が求める労働力としての奴隷供給は常に満たされていたと思う。
また、灌漑技術の確立や大規模稲作の適地が未開のまま沢山残されていたことと、鉄器による農具・開墾具の普及によって効率性が高まり、それぞれの国の首長たちは、移民であれ奴隷であれ常に大量の労働力を欲していたと思う。
古代史は詳しくなく、しかも私ブリーダー
なのでちょっと見方が他の方と違うかもですが💦
男は年何回も子孫発生可能ですが
女は基本年一回で受胎もひとりが多いので
その条件で女系は弥生系が縄文系より多いなら
弥生系の方が受胎率が高くかつ安産かつ
多い回数の出産が可能だったということに
なりますね。
受胎率は母体の栄養摂取状況で変わります。
もちろん栄養を良く摂取している方が高いです。
出産も手助けがあったり、産後にフォローが
あった方が次の出産に臨めます。
人間は動物に比べて難産なので、
今と違って母子ともに命を落とすケースも
少なくないので…
栄養状態が良く、安産で
出産育児に手厚いフォローがあり、
出産回数が多くなったというのは
女性の場合は弥生系の方が縄文系より
身分が高かったと考えていいのかな?
と思いました。
女性で身分が高いというと
神話の時代だと卑弥呼や天照大御神なんかが
浮かびますが…
まあ「非道徳的な説」で海外その他から
連れてこられで産む機械にされたとかも
あるかもですが…
現代でも男尊女卑の家の嫁でも
妊娠出産の時だけは高待遇だったりするとかも
聞きますしね💦
崇神天皇の時代に疫病(天然痘)が大流行したそうです。崇神天皇は神様に祈祷したり、手を尽くしたそうですが一向に収まらず、国中で病死者が増え天皇家の人間もバタバタ死んでいく。このままでは天皇家も滅ぶのではないか?と困っているときに夢で「九州の女を娶れ」とお告げがあったそうです。九州の女性は何故か疫病にならない傾向があったため
お告げに従い九州の女性と婚姻関係を結ぶとあら不思議、天皇の子供たちは天然痘にならなかったそうです。大陸の人たちは天然痘に対する免疫を獲得していたため、帰化人が多い九州の
女性も天然痘に対する免疫を持っていた。婚姻により天然痘に強い免疫システムを獲得したおかげで、滅ぶことなく今日まで天皇家が続いているそうです。もしかしたら古代の疫病流行によって(天然痘に弱い?)縄文系のミトコンドリアDNAが激減し、かわりに天然痘に強い弥生系(大陸由来)のミトコンドリアDNAが増えてしまったのかもしれないですね。
弥生人が日本に持ち込んだ最重要なものは、灌漑土木技術と大型の準構造船の製作技術だと思います。弥生人は稲作ばかりやっていたと思われがちですが、田地を整え安定した収益を出すまでに時間がかかったと思われます。また災害などで収穫が見込めないことも数多くあったはずです。
そのため、船を使い遠洋漁業や外洋交易を行ったことでしょう。遠洋漁業でマグロやカツオを大量に取れば大きな収益を得られます。外洋交易も同様です。その準構造船には多くの漕ぎ手が必要で当然集落総出で男ばかりであったことでしょう。ただ、難破により船ごと全滅することも少なくありません。
そうなると、集落には老人子供と大量の未亡人が残ります。入り婿を取る形になりますが、水利などで利害が対立しやすい他の弥生人集落ではなく利害が対立しにくい縄文人集落から数人の男を呼び寄せ、一夫多妻の婚姻関係を結んだのではないかと妄想します。