DAICON FILMが制作した『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』は監督に庵野秀明、脚本に岡田斗司夫が参加した自主制作映画作品である。こだわりすぎた庵野監督が原因でスケジュールは押しに押していた。まるで今の『シン・ウルトラマン』の様に。当時の状況を岡田斗司夫が話し始めた。
0:00 岡田斗司夫24歳の苦い思い出
1:34 SF大会の宣伝という名目で
3:02 SFアニメ関連専門店を開業
3:43 庵野秀明がこだわりすぎた飛行機
4:41 働いてくれない庵野秀明
6:36 庵野秀明の監督としてのこだわり
8:01 庵野秀明を喫茶店に呼び
8:39 帰ってきたウルトラマン完成
9:25 1984年ガイナックス設立
10:12 庵野秀明のクリエイターとしての変化
13:01 捨てられないTシャツ
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▼関連動画
シン・ウルトラマンで庵野秀明は宇宙人役で出演する
https://youtu.be/5WsyxBrk1x0
ご視聴ありがとうございました。
当チャンネルは岡田斗司夫さんの切り抜きレギュレーションに沿って運営されています。
岡田斗司夫のYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/toshiookada0701
元動画
声:音読さん
#岡田斗司夫 #DAICONFILM #庵野秀明
38 Comments
「帰ってきたウルトラマン」の代打が、「愛国戦隊大日本」「快傑のーてんき」だったとは。
鶴橋の駅だったかな?
ゼネプロのお店に行ってカタログでダイコンフィルムオープニングアニメのビデオ買いました。
なお正月、庵野氏がサボった理由は編集装置が1トラックで2トラックの物が無かったため
こういう企画とかイベントをしてると解る。開催数か月前にワラワラとスタッフになりたがる人が出てくる。
そして開催日に1~3割がバックレる・・・(大きなコンサートでも同じようで・・・バックレるならなんで参加表明したって本当に言いたくなる)
映画製作の顛末とDAICON4までの経緯を、ネトフリとかアマプラで「たっぷり予算を掛けて」ドラマか映画で作って欲しい。
映画なら劇場公開も込みで。
引き返せないから頑張るし、限界以上に働けたんだろうね。やりがいはあっただろうけども、相当辛かっただろうな
良い話ありがとうございます😊
NHK朝ドラでこの頃の皆さんの青春時代を題材にして欲しい
お若いっ!!!ゴジラ復活前の空気が懐いデスっっ!!!ところで、永島治ってどうしてるん!?😂🤗🤔
中学の時、大阪環状線に乗って鶴橋か京橋のゼネラルプロダクツ?という店に行って
(動画途中で詳細に説明されてますね。)
特撮のおもちゃ売り場で街頭テレビ感覚ででマクロスやトロンを見ました。
庵野秀明展のダイコンフィルムのところにこれを流してて欲しかったわ。
岡田さんも苦労時代があったのかぁ。それに比べて俺は………はぁ(ため息)……
みんなに置いて行かれるのが嫌だった、といまだから言える岡田さんが素晴らしい。なんでかわかんないけど
若い頃の岡田さんって、漫画アオイホノウに描かれてたようにフックラ長髪だったんですね。
あれ、女性問題でガイナックス作ったんじゃ
当時からアゴが無かったのね。やせないと長生き出来ないよ
この帰りマンのミニチュアのシーンは初めて見た時に衝撃だったな〜。
後に全て紙製という事を知って更に衝撃、にわかには信じられなかったが
更に後に1m級という事実を知って、ようやくあの精巧さや日光?ライティングによるリアル感に納得が行ったものでした。
庵野監督はこの後にも逆シャアの艦艇や他作品の各種小物ではデザインをしてますよね。
大日本ものーてんきも、どちらも高校生の時にビデオで見ました
あ、ウルトラマンも…
大阪へ大会に行った同級生がビデオを入手して戻ってきたので…懐かしい思い出です
1984年にDAIKON3図書館のビデオでこっそり見た記憶がある。素人がこんなの作るんだってとてもビックリしたよ。☺️
当時日本テレワークはフジTVの子会社ではないかと思います。8社会の外に出た人々が作った会社が日本テレワークだと記憶があります。
何を言おうと庵野監督作品
岡田さんから庵野監督への愛を感じる
普通に欲しいなこのTシャツ
大阪の桃谷は田舎じゃね~(笑
あんまし、ゼネプロは知らなかったけどSF雑誌の広告を見てバキュームホームのウルトラホーク1号を買いました。(高かったけど)今はもう無いけどね、懐かしく思いました。
ここら辺の話はアオイホノオも併せて読むと多分よくわかるかも・・・w
懐かしいです。ゼネラルプロダクツ。中学生の頃、SFファンの幼馴染に付き合って通ってました。中学生の小遣いではなかなか買えるものがなくって、結構貯金して行った記憶があります。
daicon3とか4は懐かしい時代ですね、
ゼネプロまで行って泡だらけの起動歩兵のガレキを買ったりとか
まあ、K洋堂の怪獣ガレキも下請けでキャストに苦労していたのを偶々みています。
テレワークは84年には宇宙大元帥が社長だったはず…
赤井さん大変だ
その頃俺が中学生・・・・・・・ じゃなく小学生
チャレンジ旺盛の時代か 自由で良いな
F-22が19mだから1/30で約60cmぐらいか、確かにデカイな
なんだろう、最近岡田氏の動画にハマっています。
巧みなトークは勿論ですが、特撮愛、関わってきた人達へのリスペクトが、貶しているような言い回しでもビンビンに伝わってきます。
特にゼネプロは何回か買い物に行きましたので思い出が蘇ります。
当時はバイクで行って、背中にバキュームフォームのウルトラホーク一号を担いで帰った事も。
ウルトラアイは二個買いました。1個は真ん中で折れてしまったなぁ…
私の青春とも被るこの時代の話は本当に面白いです。
こういう裏話聞くとやっぱりその道のプロというのは下積みで苦労してんだなと思うね。
サムネが
ラーメン大好き小池さん+長州小力
若りし頃太った山下達郎さん?
赤井さん苦労しすぎだろwww
庵野さんと一度話し合ってほしいよな岡田さんには。60過ぎて意味ありげなツィートでやりあってないで、お互いに本音で対談してほしい
半年前から毎週ちゃんとくるやつが必要ってわかる。でも世の中の起業家って金が入ると大してやくにもたたない、ハイエナみたいな大企業出身者に高給払うんだけど、それで普通の日本企業になっちゃって伸びないってのが日本。
当時ゼネプロに通っていたな〜マクロスの1話はゼネプロで観たっけな〜😅
岡田さん自分でオネアミスの翼って言っちゃってるじゃん