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源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか (PHP新書)
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#日本史 #鎌倉時代 #鎌倉殿の13人 #源頼家
33 Comments
有難うございます。
北条が有能だったのか比企が無能だったのかだと思う
あの、公暁は、くぎょうと読むはずですが。
いつも面白い動画ありがとうございます。
多分気づいてると思いますが 建久10年は1199年です
18歳で後を継いだのは織田信長も同じですね、頼家は真価を発揮する前に家中の内紛で死んでしまった悲劇の将軍だと思います。
配流・・・「はいる」だとおもいます。
前回から細かいことばかり言ってごめんなさい。
いえ、歴史知識については、戦国BANASHIさんには全く及びませんので、毎回楽しく視聴させていただいております。解説のリズムや話の広がり等、面白くてお気に入りの歴史チャンネルですので。
配流=はいる
昭和の歴史漫画や教育アニメビデオとかだと線引きの件とかで確実に「暗君」扱いされてた頼家を
「吾妻鏡バイアス」を取り除いたうえで「当時の文化や価値観事情」も照らし合わせて
「果たして暗君と言えるのか?」様々な切り口で考察されているのが見応えがあって良かったですね。
それでもダメだろうと思える部分やうまく立ち回れなかった面も含めて、
それらのツケが比企家や公暁にも回ってくるのかもしれませんし、
鎌倉殿本編の進展と共にとても気になります…。
全くの暗愚より、中途半端に才気があって味方の実力者と喰い合うのが一番困る
今回の大河だと聡明そうな感じがしたから、北条と比企の勢力争いに嫌気がさして頼家自ら動こうとしたのを目障りに思われて暗殺、
なんて展開を予想。
江戸時代にも、「神君家康公が主家今川を裏切った」ってのは都合悪いので
「いや、今川はとんでもない暗君だったから」
と言うイメージ操作されましたし(そのイメージがつい最近まで影響してますね)、
同じく「神君家康公が主家豊臣家を裏切って滅ぼした」ってのは都合悪いので
「いや、淀殿がとんでもない悪女で、息子の秀頼も何の決断も出来ないバカだったから」
というイメージ操作されましたし…
吾妻鏡で北条にとって都合悪いから「頼家は暗君」イメージ操作は当然あったでしょうね
蹴鞠と言えば、今川氏真の方かなぁ(笑)
いつも勉強になります🤣
ナデシコジャパンが、国民栄誉賞もらってたように思います。
「配流」…「はいる」
中国の歴史書では、前王朝の最後の皇帝を暗君か残忍非道な人物として記述し、現王朝を正当化するのが常ですから、吾妻鏡の著者もそれを真似た可能性は大ですね。
なお、頼家の最期については、岡本綺堂の「修禅寺物語」にそのシーンが目に浮かぶように描かれています。青空文庫に入っていますので無料で読めますよ。
坂東武者達はかなり扱いづらい御家人だっただろうし、若年で頭領に据えられてしまったのが原因かなと、
乳母の比企にも、蹴鞠相手の北条時房も結果的に坂東の権力者争いの中心なわけでは、、家人にもタイミングにも見放された悲しい後継ぎかと個人的には思います、、
郷ひろみの頼家は、北条との軋轢で狂おしくなってく過程がじつによかったですよねぇ。郷ひろみさんにあまり演技派のイメージが無かったので新鮮でした。
義経の正妻郷を差し置いて
妾で京女静の方が、断然描かれてるのも
坂東者として承伏いかんけど
やればできる!氏があっさりと巻き込まれでタヒんでた…
郷ひろみの頼家、懐かしい❗
頼家は若かったし幕府側からすれば蚊帳の外だったのでは?捨て鉢になる気持も分かります。ところで公暁を「こうぎょう」とも言うのですか?
暗愚だったら
亡き者にしたり追放したりする必要もないでしょう
大大名を潰しまくって、やたら嫌われた為政者が
義教や綱吉でしょう
◯醍醐天皇は、確かに適当な所があった様ですけど
資料を残した人の立場も考慮しないと、実像は歪みますね
頼朝が亡くなったのは1199年です。
ナデシコジャパンがW杯優勝した後に国民栄誉賞もらってますね!
去年の大河でも、水戸斉昭が主催した追い鳥狩りで
七郎麻呂が雉を仕留めてましたね
あれも軍事であり示威行動ですから
意外と斉昭も、合理的近代人だなと分かりました
令和の感覚で「趣味に現を抜かした」かの様に見える事も
当時としてはリアルな政治だったのかも知れません
実朝や道灌の歌道とか道誉の華道
忠興の小細工や秀吉の茶道
チャカポン直弼
ひょっとしたら、義政の寺社庭園造営、大規模土木も
命懸けの武士は、確かに現実的なのですけど
対朝廷、公武交渉となると
やんごとなく雅な公家文化も、死活に関わったのかも
いやー、権力を笠に着て部下の彼女を奪ってはダメですよ。
20:02 父親の源頼朝も、大河ドラマでも描かれているようにかなりの助平だったし、血は争えない・・・
大河では善児にやられる気が…
こうぎょうではなくくぎょうでは?
頼家は乏しめられてますからね。吾妻鏡の悪影響がつい最近までは千年王国ヴェネチアの如きの存在感でしたし。仁田忠常も義時に討たれたなんて話もありますから。やっぱここでも善次の出番がありそうな気はしますよね。
3:15で、「綿密な関係」って言いましたか?
「緊密な関係」ですよね?或いは「親密な関係」でしょうか?
明暗を判断できるほど長生きしてない
色々あるんだろうけど、頼家はどちらかというと「2.5代目」でタイミング的な悲運と思います。他の2代目、足利義詮や徳川秀忠と違い、頼家は幕府創立に直接関わってないし、天下を掛けた合戦にも参加できてない。一方で3代目と違って、取り巻き連中の世代交代は出来てない。少し境遇が似るのが豊臣秀頼でしょう。父秀吉との世代が開きすぎてる一方、3代目のような「生まれながら将軍・太閤」特権もない。初期での体制安定には、創業者と後継者が同じ時間を共有し、仕事をすることです。