1964年6月16日に発生した新潟地震の翌日17日、新潟放送のラジオで放送された災害特別番組。
昭和石油石油タンク爆発現場編 http://www.youtube.com/watch?v=S1xtD6ahQVk
ヘリコプターからの実況は1964年に入局した新人二ヶ月の大塚浩アナウンサー。
県庁内特設スタジオからは1954年に入局した丹羽国夫アナウンサー。

18 Comments

  1. 災害安否情報は、この新潟地震から行われるようになったはずですね。とても貴重な音声資料をアップしていただいて感謝します。

  2. 俺 この次の年に産まれました

    父ちゃん 母ちゃん 大変だったんだろうなぁ・・・

  3. 私も生まれてすぐ新潟市山ノ下で生まれました。
    新潟市で中越地震、柏崎の中越沖地震。
    東京で東日本大震災を経験しました。転載させていただけないでしょうか

  4. ヘリの機内から見える状況から、被災された方はどこに避難したらいいかを的確に伝えるアナウンサー。
    まさに、これが災害報道のあるべき姿勢だと思います!

  5. 大きな被害はなかったのですが、こっちは18年前とほぼ同時刻に­発生しました。
    思わず声が出てしまい、本当に怖かった。
    何せ病人や高齢者たちが住んでいる、共同住宅です。
    昨今、震災報道を延々と流すなという苦情や抗議が局に寄せられて­いるのも事実。
    東日本大震災より規模の大きい地震が、何年後かにやってくるとい­うので、
    日頃から自分の身も守りながら、声を掛け合うことも大事です。

  6. 大塚浩アナといえばBSNでは、競馬中継でもおなじみでしたが、ちょうど新潟国体にあわせてBSNに入社したんですね?

  7. 新潟地震が発生した直後、新津市あたりでは「新潟市にソ連の核ミサイルが落ちた」というデマが流れたと、学校の先生が教えてくれました。つまり、昭和石油の火災のすさまじい黒煙は核爆発で起こったきのこ雲で、激しい揺れは地震ではなく核爆弾の衝撃だと・・。
    当時は冷戦時代だったのでその様なデマを信じた人も多かったそうです。

  8. 新潟地震から50年、私は3歳でした。なのにこの地震のことは断片的に覚えています。石油コンビナートの煙とにおいがすごく、しばらく庭で過ごしていたということです。親からいろいろ聞いていましたが、この放送で凄みを感じました

  9. 1:32私が通っている学校が見えているぞ!(白山小)
    追記:2020年3月24日、白山小を卒業しました。

  10. スタジオの丹羽国夫アナウンサーはその9年前、新潟大火時に決死のレポートをされたアナウンサーです

  11. 出先にいて、あなたの家が潰れてますよってラジオから聴こえるのも何だか切ないなぁ

  12. そして平成で中越地震が発生し
    令和に改元された昨夜も大きな地震が発生しました
    当時は緊急地震速報はおろか
    テレビすら置いていない家庭も多かった事でしょう
    災害に日曜祝日はありませんし未明とかにも発生します
    日頃からの備えをするべきですね

  13. (2021年6月11日投稿)

    1964年(昭和39年)の新潟地震は、こんにちある『地震保険』創設のきっかけになった、とされている地震でもあります。ちょうど、第19回新潟国体(春季・秋季同時開催)が6月6日~6月11日の期間で開催されており、この国体が終わった直後の地震でもありました。この地震の影響を受け、新潟国体夏季大会は、中止となっています。同年秋には、1964年東京五輪の開催が予定されており、そのため、新潟国体秋季大会は、春・秋同時開催されたものでした(『1964新潟国体』・『1964新潟地震』で検索)。