東日本大震災の地震や津波、原発事故などで故郷を追われた人々は、今も全国各地で避難を余儀なくされています。埼玉県の団地に身を寄せている人たちは離ればなれの避難先をオンラインでつなぎ、追悼式を行いました。

 11日午後2時46分、地震発生時刻にあわせて黙祷したのは、埼玉県上尾市に避難している人たち。震災直後、上尾市にあるこの団地には、被災3県から一斉に避難してきた61世帯が身を寄せました。今も残る11世帯のうち、9世帯は原発事故によって故郷に戻れない福島県からの避難者です。

 追悼式には毎年、新たな避難先に移った人や地元に帰還できた人なども含め、100人以上が参加してきました。しかし、今年は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて参加者を絞り、オンラインでの配信に・・・。

 「大震災の風化も進んでいます。この大震災で亡くなられた方々から『何やっているんだ。しっかりしな』と言われないよう声を上げ、まっすぐ前を向いて歩こうと思います」(南相馬からの避難者 吉田健一さん)

 原発事故によって帰還困難区域などが残る福島県の住民は、いまだにおよそ3万6000人が全国各地で避難生活を余儀なくされていて、埼玉県でも避難生活が続く人の9割以上が福島から来た人たちです。

 「とにかく原発ね。どうにもならない。それさえなければ1年もたたないで帰ったろうと思うけどね」(富岡町からの避難者 渡辺哲雄さん)

 一時、全町避難となった福島県富岡町から避難している渡辺哲雄さん(72)。当初は2~3年で戻れると考えていましたが、自宅のまわりは思うように除染も進まず、町の生活環境も整わないことから帰還を諦め、すでに自宅も取り壊しました。

 「(自宅は)もう、さら地にしました。(Q.解体したということは、もう帰らないということですか?)うん、そういう形ですよね。どんどん整備、復興になっていますけど、40歳、50歳ぐらいまで毎日朝起きて今日は花が咲いてるな、梅が咲いてるな、桜が咲いてるな、というところにならまた戻りたいだろうけど、すっかり復興してきれいに、あまりにもきれいになって、そういうところにはなかなか年配の人は帰るのは難しいんじゃないかなと思いますよね。小さいころから見ている風景と全然違いますものね」(富岡町からの避難者 渡辺哲雄さん)

 原発事故から避難を続けてきた福島の人たちの中では、ここ数年、帰還を諦めて新たな場所に移り住んだり、避難先にそのまま定住したりするケースが増えています。(11日16:09)

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