モンゴル戦争で戦ったのは日本ではなく、鎌倉幕府それも北条時宗と安達泰盛を中心とした人々でした。戦時体制のなかで、安達泰盛は鎌倉幕府の改革をめざします。泰盛は武士をすべて幕府の御家人として組織しようとしますが、御家人たちの反発を受け霜月騒動が起こりました。朝廷・幕府、将軍と執権、御家人と御家人以外の武士、各々はどのように蒙古襲来に対応しようとしたのか、モンゴル戦争にもかかわらず日元貿易は続いていたのは何故か、中世の様相を秦野先生が解説します。
#戦乱の日本史 #社会人のための日本史 #解説は秦野裕介立命館大学授業担当講師

3 Comments

  1. 天皇家・摂関家もそうですが、今、一番上の天皇・関白が誰が就いてるか云々より、
    誰が(正統)とその時世間に思われてて、誰が家父長的に実権を持ってるかの幅広い人間関係を知識として抑えないと、
    得宗での出家しても実権があった時頼と言い、この時代的に理解出来無さそうですよねー。
    まあ、院でその近臣に力があった事と言い、得宗での御内人の台頭と言い、実権がある家での誰が発言権があって実行出来る状況なのかが分からないと、
    政策全体も分かりづらかったりする時代。
    誰が名目上の一番の上の官職にあったか云々と言うより、官職上は低く見えても、実際に誰がその家を動かしているかを知らないと、
    一番上の人物だけ追い掛けてると分からないかもなぁ。
    元寇でも一番上の時宗・時宗ばかり言いがちですが、実際はそれを支えた安達泰盛だったり、平頼綱の考え方を知る方が実際の所は正解だったりするんでしょうね。
    そもそも名目上じゃなく実権がある家はどこなのかを抑えて、その家で発言力が強い人物が誰なのか、そして、その考えを知らないと、朝廷も幕府もこの時代は難しいw
    分かりやすい一番上のヒーローが引っ張った的な所はあんまり無い時代かなぁ。
    表の代表的な人物はこの人に見えるが、実際の実力者は違う的な感じ。
    教科書レベルではその複雑な人間関係まで教える時間も無いだろうから、難しいだろうなぁ。
    教科書的には、時宗がー、時宗がーとやらないと、予備知識が無い学生さんは余計に分からなくなるでしょうからねw
    でも、この実際の実力者は誰なのか的な所がどんどん内側に移行していくのは、
    天皇ー将軍(足利家)-管領(細川家)-守護代(三好家)と名目上と実際は違う的な所はその後の社会にも受け継がれていく感じもします。
    実権を取ると、それによって生じる結果や責任も問われますから、(実権は無いお上がこう言ってる)と言う形の方が色々やりやすい所はあるんでしょうね。
    鎌倉幕府で将軍を頂く形を続けたのも、つまりはそれでしょうから、北条家もその権威の源泉である朝廷は廃止しちゃマズかったんでしょうね。
    まあ、偉い人がこう言ってるから、下も従えと言う形でスムーズに行くし、官職くれるし、部下への序列付けも出来るし、使い勝手も良いですからね。
    実力者にとっては無害な使い勝手の良い神様は欲しいけど、俺の邪魔するような奴は挿げ替えると言う感じ。

  2. 日元貿易に時宗母と時宗妻が関わっていて、松浦に難破した荷物を政権(幕府)の名で取り返そうとしていたという件、鎌倉政権内の複雑な利害関係を垣間見れて、とても面白かったです。
    大河の終盤で、謝国明が「(元寇で色々あったが)元と大商いじゃ~!」と豪商ぶりを発揮してましたが、祝子(時宗妻)も実は大商いをしていたと思うと…(笑)
    The 中世‼️という内容で楽しく拝見させていただきました。

  3. 現代風に考えれば、こう考えれば良いんじゃないですかね?
    そもそも律令制崩壊後は国軍を常備して時代(軍団制)も維持できず、後は家ごとに家業で政治・諸芸・軍事警備を請け負わせる(その費用で荘園の諸権限を与える)。
    承久の乱までは何やかんやで、朝廷が各地の地方警備会社(武士と言う家業の人達)に討伐命令を出せたけど、
    承久の乱で東国の大手警備会社(鎌倉殿)に朝廷側が負けて、警備業も全て丸投げする体制になった。
    朝廷側はもうその東国の大手警備会社(鎌倉殿)に全面的に軍事は委託してるので、当然、警備も軍事もそっちがやってくれとなった。
    ある意味、朝廷は他人事になっちゃったんですよね。
    元寇では朝廷側も加持祈祷はやるけど、軍事動員などは東国の大手警備会社のお仕事でしょ・・と言う理屈になった。
    で、東国の大手警備会社内の幹部は一生懸命やって、その会社の警備員(御家人)を動員(当然、御家人以外は他人事)したけど、
    その諸経費・要員が足りないので、朝廷・寺社の荘園にも今回だけは特別と経費をある程度負担して貰う体制のまま、幕府崩壊になった。
    委託先の警備員(御家人)は他人の会社の構成員なんで、朝廷側からすると、そもそも恩賞なども管轄外だよね。
    朝廷側から何かを分捕るには、幕府側自体が交渉して、何が足りないと言う交渉をするしかない。
    今の中央政府と感覚が全然違うんですよね。
    国軍が元を迎え撃ったと考えるのは違っていて、実際は一番大手の警備会社に所属する警備員の一部が迎え撃っただけと言う方が実態に近い。
    まずこの中世の請負的な構造を抑えてないと分かりにくいですよね。