1月17日早朝、兵庫県神戸市中央区で営まれた追悼の集いで、遺族代表の言葉を述べた男性を取材しました。
柴田大輔さん(31)。 妻の奈津さんとともに、神戸市内で飲食店を営んでいます。 出会った当初、柴田さんは奈津さんにも言えないことがありました。 柴田さんには7歳まで弟が2人いました。 3歳だった宏亮ちゃん。 そして、1歳の知幸ちゃんです。

月命日のこの日、柴田さんは家族と墓参りをしました。 「当たり前」だと思っていた家族5人の暮らしは突然奪われます。

神戸市長田区の自宅は全壊。 家族全員が倒壊した家屋の下敷きになりました。 がれきの中で救助を待ち続け6時間。 家族で最初に助け出されたのは柴田さんでした。 目の前に迫る火の手から逃れるため、近所の人に手を引かれ1人避難所へ。 1週間後、探し出してくれた父親から伝えられたのは母親の大けが、そして弟2人の「死」でした。

幼い弟2人の「死」。 震災の恐怖が柴田さんを苦しめ続けます。 あまりのつらさに心を閉ざしてしまった柴田さん。

しかし、周りの人々が寄り添い続けてくれました。 地域の人が声を掛けてくれて18歳の時に消防団に入団。 活動をする中で、人の役に立ちたいという思いが強くなりました。 この日は、消防団に入るきっかけをくれた先輩が柴田さんの店を訪れました。

全国で災害が相次ぎ、多くの人の命が奪われる中、自分にできることは何かと考えた柴田さん。 震災と向き合い、経験を伝えることが自分の使命だと思うようになりました。 忙しい仕事の合間をぬって、各地で講演を行っています。 震災を知らない世代に地震の恐ろしさ、地域のつながりの大切さを語ります。

手元に残る写真はごくわずか。末っ子の弟の写真は、たった1枚しかありません。 それでも柴田さんの記憶の中には、弟たちが生き続けています。 かけがえのない弟を亡くしたあの日。 支えてくれた人への感謝、そしてこれからも震災と向き合い続けることを誓います。

1995年1月17日。 あの日あの時を忘れない。 柴田さんは次の世代へと思いをつなぎます。

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