岩手県陸前高田市の小学校で、この春、定年を迎えた校長がいる。
両親の命をも奪った東日本大震災の記憶を忘れまいと、復興教育に心血を注いだ校長の最後のメッセージを伝える。

高田小学校 金野美惠子校長
「きょうは災害があったことを忘れない日。「命」って「生きる」って、もっともっと大事にしなきゃいけないと考える日」

東日本大震災から11年、3月11日をむかえた陸前高田市の高田小学校では、震災について考える全校集会が開かれた。

児童たちに優しく語りかけたのは金野美惠子校長。
津波で両親を亡くした。
2020年、母校に赴任し防災やふるさとについて学ぶ復興教育に力を入れたが、2022年3月に定年を迎えた。

高田小学校 金野美惠子校長
「被災していない方が音頭を取るより、被災したものとしてやるしかない」

11年前、高田小学校は海から1.5キロほどの場所にあり、校舎の1階まで津波が押し寄せた。
校長室には、津波で犠牲となった7人の児童の写真が大切に貼られている。

高田小学校 金野美惠子校長
「いつも思うのは、あなたたちが生きたかった分を、今の高田小の子供たち一生懸命生きてるから見ていてね」

5年生以下は、震災後に生まれた子供たちだ。震災をどう伝えていくかが課題となっていた。
これまで学校では、心のケアを優先して被害状況などについて学ぶことを避けてきた。
しかし、金野校長は震災としっかり向き合う授業に方針を変えた。

高田小学校 金野美惠子校長
「被災地の現状をここで生まれた子供たちが知らなくていいのか葛藤があって。その葛藤がありながらも一歩ではなく半歩進めてみたい」

この1年、児童たちは被災したビルの屋上にある煙突の上で奇跡的に助かった人の話を聞くなどして、当時の状況を学んだ。

自身の経験を語り継ぐ米沢祐一さん
「ここから下は360度全部津波。それを想像して」

児童は…
「高い所で少し怖かったけど、津波のことを実感できた」

また、避難経路を分かりやすく示した「逃げ地図」を作るなど、それぞれの学年で自主的に震災と向き合ってきた。

そして迎えた3月11日の全校集会。
退職を控えた金野校長が児童の前で話ができるのも残りわずか。
命や避難の大切さを学んだ児童たちに意を決して1枚の写真を見せた。

高田小学校 金野美惠子校長
「これは次の日の陸前高田市。今と全然違うでしょ?私が大好きだったあの街はどこにもありません」

子供たちをいたずらに怖がらせてしまうかもしれないという迷いもあった。
けれど『怖いからこそ防災意識が身に付く』。児童たちのこの1年の成長が背中を押した。

高田小学校 金野美惠子校長
「大好きだった街以上のものを多くの人たちの力で作り上げてきた。高田小のみなさん、この後どうか、どうぞつなげていってください」

児童たちからは、頼もしい感想が次々に聞かれた。

児童は…
「東日本大震災の陸前高田市の復興、引き継いでいきたい」
「これからみんなの命を大切にしていこうと思った」

学校、最後の日。
歴代校長の写真の隣に自分の写真を飾り、両親に38年の教師生活の終わりを報告した。

高田小学校 金野美惠子校長
「父ちゃん、高田小学校終わるからね。今までありがとうございました」

学校をあとにする金野校長の陸前高田市の将来を担う子供たちへの最後のメッセージ。

(高田小学校ブログ一部抜粋)
「『奇跡の一本松』のように大きくたくましく成長していってね。そして、いつの日か『奇跡の一本松』のような大樹として風雪に耐え町を守る存在に、周りの人に希望を与えられるような存在になってくれることを期待しています。夢はでっかく、根は深く」

WACOCA: People, Life, Style.