今回は富士川の合戦後に源頼朝の前に現れた義経について紹介。頼朝の弟は、どんな人物でどんな活躍を見せたのか。そしてなぜ兄の頼朝に殺されることになってしまったのかを解説。義経は一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平家を滅ぼし、最大の功労者となったが、その後、頼朝に殺されることになった。
〇源 義経
平安時代の日本の武将。鎌倉幕府初代将軍源頼朝の異母弟。仮名は九郎。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸と呼ばれた。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。
●楽曲提供
若林タカツグ/カッパエンターテインメント
◆大河ドラマ「鎌倉殿の13人」歴史解説シリーズ
①戦国並みに凄い大変革期!平安末期~鎌倉 魅力的な登場人物と時代背景
②源頼朝が殺されない深い理由 その利用価値と魅力 北条政子との結婚、以仁王の挙兵
③源平合戦の開戦 大庭景親との石橋山の合戦と鎌倉政権の樹立【治承・寿永の乱】
④源頼朝を支え鎌倉幕府の実権を握った尼将軍 北条政子とは【前編】
⑤長男の暗殺…北条政子 三代で途絶えた源氏 その真相【後編】
⑥石橋山の合戦 北条義時の兄 宗時の死 源頼朝を救った大庭景親の家臣 梶原景時
⑦頼朝の勢力拡大と鎌倉入り 石橋山で敗戦後どのように勢力を拡大したのか?
⑧頼朝の人心掌握術 吾妻鏡に書かれた実像 数百の兵が2.5万に
⑨頼朝の鎌倉入りと富士川の合戦 大庭景親と伊東祐親の最期
⑩源氏一族を徹底解説「頼朝の先祖・義家、源義経、木曽義仲、武田信義、源行家…など」
⑪富士川の合戦 頼朝討伐の一部始終平家軍を圧倒した武田信義
⑫源義経と頼朝 感動の再開 義経の活躍と5年後の悲劇
https://youtu.be/Z2JhCWd_prg

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