ビヨンセのダンスのものまねで一世を風靡した、渡辺直美さん。
ふくよかな体型とは裏腹に、華麗な曲にあわせて、妖艶でセクシーな腰の動きとキレのあるダイナミックなパフォーマンスを披露し驚かせてくれました。
あれから約10年、今やインスタグラムのフォロワー数は900万人超えで日本一!
芸人のみならず、エンターテイナー、ファッションアイコン、インフルエンサーアパレルデザイナー、女優などをマルチにこなし、世界を股にかけて活躍する存在となりました。
現在、生活の拠点をニューヨークに移し、日本とアメリカを往復する多忙な日々を送っています。
そんな彼女の人生を漫画でまとめさせていただきました。(2020年4月時点)
■渡辺直美さん公式Youtubeチャネル「NAOMI CLUB」
https://www.youtube.com/channel/UCFFH1T9H5J7lAr4tkhjoVmw
■渡辺直美さん名言
自分を好きでいることがパワーの源。自分のことをよく理解して自分を好きでいること。ダメなことに目を向けずポジティブな姿勢で自分自身と向き合うこと
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
▼チャンネル登録ありがとうございます▼
http://bit.ly/2TRO99p
☆チャンネル登録いただけると新作動画の通知を受け取れます☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ワンダーストーリーとは
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
驚きと学びを提供する短編漫画動画チャンネルです。
わざわざ調べるほどではないけど、言われてみれば知りたいこと。気になることをどんどん提供していきます!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あらすじ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1987年10月23日 台湾で誕生。
日本人の父親と台湾人の母親、一人の姉の4人家族。
幼少期に両親が離婚。母と一緒に茨城県で暮らすことになりました。
母親は全く日本語がわからず、渡辺直美さん自身日本語はカタコト。生活に大変苦労したといいます。
金銭的に非常に厳しく、食べることに困る日もありました。
おかずの代わりにチラシを側に置いてご飯を食べ、チラシの食べ物を食べているような気分を味わっていたそうです。
そんな過酷の中でも、よく喋る明るい子に育った渡辺直美さん。
小学生時代、日本語が上手く話せなかった渡辺直美さんは、漫画家になりたいという夢を持っていました。
特に雑誌『りぼん』の大ファンであったことから漫画クラブに入ってギャグの4コマ漫画ばかり描いていたそうです。
一方、ダンスも大好きで、SPEEDやモーニング娘。のモノマネをお楽しみ会で披露していたそうです。
人前で踊ってはいましたが、自分の意見は言わない控えな性格だったようです。
そして、中学生になった渡辺直美さんに事件が起きます。
中学1年生の冬休みを過ぎた頃、親友だと思った複数の友達から突然いじめられるようになりました。
中学2年生になり、クラス替えになったことでいじめは無くなりましたが、当時は「死にたい」と考えたこともあったそうです。
その時です。
お笑い番組を見ていると辛いことも忘れることができた経験から「いつか私も人を楽しませたい」と芸人を目指すきっかけになりました。
オープンになれるのは気の知れた信頼できる友達の前だけ。限られた友人の前でものまねを披露していました。
ちなみに、中学校卒業までは痩せており、ハーフということもありモテていたそうです。
勉強は大の苦手。
日本語力がまだそこまでなかったため、先生の質問意図がわからずチンプンカンプン。
質問された内容と自分の答えがかみ合わず珍回答をしてしまい、友人の顔をひきつらせたことがトラウマとなり、ますます勉強を避けるようになりました。
こんな中学生時代を送った渡辺直美さん。
高校受験では、受験した3校すべて不合格。
進学をやめ、ファミリーレストラン「夢庵」でアルバイトを始めました。
時給は700円。
「将来芸人になる」という夢を支えに、3年間仕事に打ち込み最終的にはアルバイトリーダーを経験しました。
コツコツためた貯金を元手にNSC(吉本総合芸能学院)へ入学。
母親の反対を押し切り、家出同然の形でした。母親がNSCに電話をしてきたこともあったといいます。
初期はコンビで活動をしていましたが、互いの方向性の違いにより2回の解散を経験します。
こうして、ピン芸人として活動を決めたものの、笑いの取り方に苦戦。試行錯誤をする日々。
ネタみせ時のアドバイスを参考に、ジェスチャーや動きで人を笑わせることへ方向転換をしました。
ここで渡辺直美さんに1回目の転機が訪れます。
それは「ムゲンダイ」の公開オーディションへの出場。
他の出演者は、平成ノブシコブシ、ピースなど若き有名ルーキー達でした。
彼らに負けまいと必死でネタを披露した渡辺直美さん、その舞台を観客として観に来て評価をしてくれたのが今田耕司さんでした。
2008年1月。今田耕司さんから太鼓判により、「2008年新春大売出し!さんまのまんま」への出演が決定しました。
和製ビヨンセのお披露目となったのです。
この番組がきっかけとなりたくさんの仕事が舞い込むようになりました。
2008年3月末からは、いいとも少女隊としての活動をはじめ、よしもと新喜劇の舞台で1年間のレギュラー出演。ものまね一発屋芸人のイメージを払拭し女芸人の地位を確立することができました。
テレビでの出演や舞台出演にもめぐまれていましたが、さらに新たな表現の場をつくりたいと考えるようになります。
相談をした相手はオリエンタルラジオの中田敦彦さんでした。
「短所を見るのではなく、長所を追いつけないほど伸ばせ」
というアドバイスに、「私の長所は表現力だ!」と、2014年NYへ3カ月間の留学へ。
英語のレッスンをマンツーマンで毎日4時間していたことで、留学を終える時にはかなり話せるようになりました。。
留学で「自分の気持ちは言葉に出さない限り多くの人には伝わらない」ということを知ったそうです。
これが第2の転機となりました。
2016年、ニューヨークを皮切りにロス、台湾でワールドツアーを実施。
披露したネタは持前のダンス芸と観客を巻き込んだマシュマロキャッチ。
マシュマロキャッチが大ウケし会場が笑いの渦につつまれました。
グローバルコメディアン渡辺直美の誕生です。
2018年、米「TIME」誌による「ネットで最も影響力のある25人」にも選出されました。
2018年、秋にはミラノコレクションにも初参加
こうして海外での活動を広げていった渡辺直美さんは…2019年4月、アメリカ・ニューヨークに移住しました。
2020年、アメリカの有名ブランド「ケイト・スペードニューヨーク」のグローバルアンバサダーに就任ししモデル活動を開始。
ブランドのクリエイティブディレクターのニコラ・ダグラスさんから「直美さんはすべての女性を体現している、ユーモアとやさしさはブランドが大切にしている価値そのものである」と絶賛。
渡辺直美さん、表現の幅は無限大。さらなる飛躍が楽しみですね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
関連動画
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■渡辺直美のNYライフに密着! お気に入りの場所、恋愛事情、夢を叶えるためのルーティンは?| My Routine | VOGUE JAPAN
■【生配信】お生メイクしていくよ~
■渡辺直美 beyonce 自信最高の ビヨンセ ものまね
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼チャンネル登録ありがとうございます▼
http://bit.ly/2TRO99p
☆チャンネル登録いただけると新作動画の通知を受け取れます☆
—-
#渡辺直美 #経歴 #ワンダーストーリー
こんなものが見たい・知りたいといったご意見やご要望等ありましたら、ツイッターかメールでお気軽にご連絡くださいね!
WACOCA: People, Life, Style.