源頼朝は鎌倉を目指し、伊豆国目代山木兼隆を襲撃に成功するが、続く石橋山の戦いで大敗を喫した。この時、平氏軍の大庭影親の家臣・梶原景時が敗走する頼朝の命を救った。
この戦いがきっかけで全国の反平家勢力が立ち上がり頼朝に味方した。鎌倉入りを果たした頼朝は関東政権の樹立。今回の動画では、石橋山の戦いと鎌倉政権の成り立ちや仕組みなどを紹介する。

〇石橋山の戦い
は、平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いである。源氏軍は300騎に対して、平氏軍は3000騎で石橋山と、谷を一つ隔てて布陣した。治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役のひとつ。『義経記』では小早川の合戦と表記されている。
源頼朝は伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いで大敗を喫した。敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びてこの地で再挙することになる。

◆大河ドラマ「鎌倉殿の13人」歴史解説シリーズ
①戦国並みに凄い大変革期!平安末期~鎌倉 魅力的な登場人物と時代背景

②源頼朝が殺されない深い理由 その利用価値と魅力 北条政子との結婚、以仁王の挙兵

③源平合戦の開戦 大庭景親との石橋山の合戦と鎌倉政権の樹立【治承・寿永の乱】

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