松田聖子さん和服 似合いすぎ~
神田正輝さんの母旭 輝子は
(あさひ てるこ1924年(大正13年)
– 2001年(平成13年)77歳没
聖子さんの実家の画素アップ
しました⇨ https://www.youtube.com/post/UgkxPxkG1ewbOrqr30tfXwBsSJHqdDtwI4Ah
息子は神田正輝。一時期の義理の娘は松田聖子
その間に生まれた神田沙也加は孫
旭 輝子さんは東京都台東区浅草出身。
昭和13年 実践女学校
(現・実践女子学園中学校)を中退し
松竹少女歌劇学校に入る。
翌年、松竹少女歌劇団に入団し
1947年(昭和22年)に退団。
映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍

旭さんは、4歳のとき、お父さんの
三国象之助さんが病気のため
他界、1937年、12歳の時
「宝塚歌劇団」を受験して
合格されるのですが、「宝塚歌劇団」
は兵庫県宝塚市にあり、東京の
自宅から通うことができず、断念。

しかし、翌年の1938年には
「松竹少女歌劇団」(SSK)を
受験されると、見事、合格。

翌年の1939年には実践女学校
(現・実践女子学園中学校)を
中退し、「松竹少女歌劇団」に
6回生として入団されます。

そして、1947年「松竹歌劇団」
(「松竹少女歌劇団」から改称)を
退団されると、1948年には
映画「唄まつり百万両」で女優デビュー。

父・神田正次の婚外子
そんな旭さんは、すでに妻子持ちの
10歳年上の石油販売会社二代目社長
神田正次さんの妾となり、男の子を
出産されるのですが・・・

その男の子というのが、神田さんです。

(※妾(めかけ)とは、婚姻した
男性が、妻以外に囲う女性のことで
経済的援助を伴う愛人のこと。
当時、地位のある男性が妻とは
別に妾を持つことはさほど
珍しいことではなかったそうです。)

そのため、神田さんは、婚外子として
育てられたのでした。
石原裕次郎にスカウトされる

そんな神田さんは、成長し
大学時代には、プロ級のスキーの
腕前があったことから、テスター
(スキー板の開発)のアルバイトを
され、将来は山小屋の経営を
夢見ておられたそうですが、

そんな中、1973年、23歳の時
レストランで、知人を通して
石原裕次郎さんから声を
かけられると、意気投合したそうで、
その後、石原さんから、
役者をやる気はないのか
と、誘われます。

ただ、幼い頃から、女優である
お母さんのもとに多くの役者仲間が
訪ねて来るのを見ていた神田さんは
化粧をしている男性が
大嫌いだったことから、

ありません
と、即座に謝絶。それでも
スキー仲間に背中を押された
こともあり、一週間後に
石原さんから誘われ、「日活」に見学。

そして、その一週間後、石原さんから、
ひやかしでドラマ1本にでてみないか?
と、誘われると、
冷やかしでいいなら1本やりますよ
と、とりあえず現場に行くことに
されたのでした。

WACOCA: People, Life, Style.