中国の南北朝時代、仏教に深く帰依していた梁の武帝はインドからやってきた高僧、達磨大師にこう尋ねた。
武帝「私はこれまで、たくさんの寺を建て、写経をし、たくさんのお布施や供養をしてきた。どんな功徳を得られるだろうか?」
達磨「功徳など無い」
武帝「では、仏教における聖なる真理とは?」
達磨「なにもない」
大師は、聖と俗、善と悪、損と得など、世の中のものを分けて考えることがそもそも間違っていると説いた。しかし、真意を理解できない武帝は続けて尋ねた。
武帝「では、聖人と言われているお前は何者だ?」
達磨「知らぬ」
自分自身を言葉で語ろうとしても、自分という存在はつねに言葉をすり抜けていく。
達磨大師は自分自身という存在すら分けて考えることを間違っていると説いていたのかもしれない。
野村萬斎のアイデンティティ (2013.1.31放送) http://www.fujitv.co.jp/odessa/backnumber/130131.html
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