24日に53歳で亡くなったバルセロナオリンピック柔道金メダリスト・古賀稔彦さんの告別式が29日、営まれ、約1000人が参列しました。弔辞は、バルセロナ五輪男子78キロ級金メダリストの吉田秀彦氏(51)が読み上げました。
【吉田氏の弔辞全文】
稔彦先輩、早すぎますよ。亡くなる前日、会いましたね。その時、手を握って『頑張って』と声を掛けたら、先輩は手を握り返してくれましたね。その感触が今でも残ってます。あれは『俺、頑張るよ』という返事だと思ってました。
先輩との出会いは私が中学校3年の時、講道学舎でしたね。その時、先輩は高校2年生、すでに柔道界のスーパースター。もちろん、私の中でも憧れの先輩でした。入門間もないヒョロヒョロで、柔道も弱かった私を投げやすいからといって、付き人にしてくれましたね。柔道以外でも、耳かきがうまいからといって毎晩のように先輩の部屋に呼んでくれましたね。先輩の部屋には、学舎では禁止のテレビが隠してあって、先輩の耳かきをしながら、そのテレビを見るのが楽しみな時間でした。
先輩は大学生になっても、いつも学舎の私の部屋に泊まりに来てましたね。気が付くと、先輩のぶっとい腕で、腕枕で寝てたこともありましたね。そして、私のパンツを勝手にはいて、『じゃあ、また後で』といって練習に行ってましたね。
先輩の近くにいたから、柔道でも先輩に追い付きたいと思うようになり、いつか同じ世界の舞台で戦いたいという夢ができました。その夢が実現したのがバルセロナオリンピック。日本中から“金メダル確実”と言われていた先輩。けがをさせてしまった時、頭の中が真っ白になりました。今でも思い出します。その日、選手村に帰ると、先輩、私に気を使って『俺、これで金メダル取れるよ。だからお前も絶対に取れ』と言ってくれましたね。でも、実際、先輩はベッドから動くこともできない状態で、いつ棄権を申し出るのかと思っていました。
それから試合までの10日間は、ほとんどの食事を取らないで減量に励み、本気で金メダルを取ろうとしてる、その姿を見て、「この人なら本当に金メダルを取れるかもしれない」という風に思わせてくれました。古賀先輩の頑張りに報いるためにも、先輩の前日に試合がある私は、絶対金メダルを取って、先輩にバトンをつなごうという思いでした。この先輩と過ごした10日間で強い精神力、勝つためには何をしなければいけないかを学びました。
そんな強い精神力を持った先輩が、まさか、がんに負けると思いませんでした。ともに過ごしたバルセロナの10日間を見ていたので、先輩なら必ずがんに打ち勝って、また奇跡を起こしてくれると信じていました。今まで先輩の真似ばかりしてきました。先輩の真似をすれば強くなるんだな。先輩がひげを生やせば、僕も生やして試合に出ました。でも、こんなに早く死ぬことだけは真似できません。もっと先輩と語りたかったです。天国でゆっくり休んで下さい。
先輩、東京でやるオリンピック、見たかったですよね。日本選手の活躍を楽しみに見守って下さい。先輩に“さよなら”は言いたくないので、お疲れさまでした。
令和3年3月29日 吉田秀彦
※取材映像をもとに文字起こししたものです。
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