老子現代語現場訳(アオキケンヂの思い込みずっぽり主観的超意訳バージョン)朗読:神野守
言葉で表せぬTAOをあえて五千文字余に表した『老子道徳経』が鮮やかに現代の現場に蘇る!?学術的には全くためにならない、青樹謙慈的老子超意訳。
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【参考文献:白文/書下文/訳】
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善行無轍迹。善言無瑕謫。善數不籌索。
善閉無關鍵而不可開。善結無繩約而不可解。
是以聖人。常善救人。故無棄人。
常善救物。故無棄物。是謂襲明。
故善人者。不善人之師。不善人者。善人之資。
不貴其師。不愛其資。雖智大迷。
是謂要妙。
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善く行くものは轍迹(てっせき)なし。
善く言うものは瑕謫(かたく)なし。
善く数うるものは籌索(ちゅうさく)を用いず。
善く閉ずるものは関楗(かんけん)なくして、而(しか)も開くべからず。
善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして、而も解くべからず。
ここをもって聖人は、常に善く人を救う、故(ゆえ)に人を棄つることなし。
常に善く物を救う、故に物を棄つることなし。これを明(めい)に襲(よ)ると謂(い)う。
故に善人は不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。
その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智ありと雖(いえど)も大いに迷う。
これを要妙(ようみょう)と謂う。
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無為にして善く行く者は轍(わだち)の迹(あと)を残さず、
無為にして善く言う者は言葉に瑕謫(きず)がなく、
無為にして善く数える者は算木など用いない。
最善の戸締りはかんぬきやかぎをかけなくても開けられず、
最善の荷造りは縄がけをしなくても解けない。
だからこそ無為の聖人は、
常に善く人間を活かしてゆき、
したがって、どんな人間をも見捨てない。
常に善く財物を活かして用い、
したがって、どんな財物をも見棄てない。
これを明らかな智恵を身につけていると謂うのだ。
かくて善人は不善人の学ぶべき師となり、
不善人は善人の反省の資(たす)けとなる。
己れの師を貴ばず、
己れの資けを大切にしなければ、
知者であっても全く途方にくれる。
これを玄妙な真理というのだ。
※朝日選書:老子(福永光司)より引用
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[老子:第二十七章巧用]
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