東日本大震災による津波で家族を失った夫婦。その2年後に生まれた娘と新たな絆を育んでいましたが、あることがきっかけで再び津波の悲劇と向き合うことになりました。
宮城県塩釜市に住む伊藤雅浩さん(46)。10年前、実家で両親、そして“最愛の息子2人”の家族4人を失いました。伊藤さん夫婦は10年経っても“時が止まったまま”。
伊藤美子さん(46):「私のなかで子どもは海外に行ったと思って、いつまでも元気でいてくれるというのがあったので、会った人にも『(子どもは)元気?』と聞かれたら『元気だよ』って。10年が長かったか短かったかということに対して答えは出てこない、出せない」
伊藤雅浩さん:「やっぱり遺族に関しては時が止まったまま。(子どもが)戻ってくるわけでもないし、死んじゃって、そのままなんだよね」
当時、次男の裕希也君は生後6カ月。あまりにも短い生涯でした。そして、小学校入学を控えていた長男・諒太朗君(当時6)。
伊藤雅浩さん:「やんちゃ坊主だよ。幼稚園でも中心的な存在だったみたいでね。本当は今ごろ(友達と)一緒に小学校に行っていただろうけど。精いっぱい生きていかなくちゃいけないよね」
諒太朗君が見つかったのは津波に襲われた8日後でした。あれから10年。失意のどん底にいた2人に“新たな希望”が・・・。
震災から2年後に生まれた長女の美紗希ちゃん(7)。妻の美子さんが“最愛の娘”を授かったのは38歳の時。
美紗希ちゃんは去年、長男・諒太朗君が通うはずだった小学校に入学。
“大切な宝物”を授かった伊藤さん夫婦。10年目の今年、つらい記憶を思い起こすような出来事が・・・。
宮城県と福島県を襲った東日本大震災の余震とされる最大震度6強の地震。津波は発生しなかったものの、物心がついた娘に2人の兄の命を奪った津波をどう伝えるべきなのか・・・。雅浩さんは生きる教訓にしてほしいと、津波の映像を娘に見せることを決意したのです。
しかし、夫婦で意見が分かれます。母親の美子さんは・・・。
伊藤美子さん:「津波の映像は見られない。(娘に)『見な、見な』と勧めるまではいかない」
自らも目をそらしてきた津波の映像。美紗希ちゃんに津波の映像を見せることにしました。
伊藤美子さん:「(娘が)『高い所に逃げた方が良いんだよ』って言っていたので、『そうだよ』って。『すぐに逃げよう』って。見せて良かったのかなって。津波は怖い、地震は怖いという勉強になったのかなと思って」
2人の息子を奪った津波と向き合うことで“止まっていた時間”がゆっくりと動き始めました。
伊藤雅浩さん:「(亡くなった)親や子どもに頑張っている姿を天国で見てもらって」
伊藤美子さん:「子どもの成長がまた見られる。もう一回、またお母さんにしてくれたんだなって。
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