●本人の映像は出ません!悪しからず。昔から今も聞いている曲=●SWEET 19 BLUES●Don’t Wanna Cry●Hero●Never End●I WILL●Wishing On The Same Star● 大好きです。

・小さい頃住んでいた地域や団地
・通っていた小中学校
・沖縄アクターズスクール通いの伝説
・沖縄アクターズスクールのビル(マキノ校長が開校)
・「運命の」バス停
・ラストコンサート in 沖縄 の場所
・ファンの気持ちをつないだ感謝の花火大会の場所

安室さんは小学4年生のころ 沖縄アクターズスクールに通う友人の誘いで見学に訪れます。練習フロアの壁に隠れて目立たないようにしていた子でしたが、階段を上り下りしたりスタジオやフロア内での動作を見ていたマキノ校長が稀に見る振る舞い方や歩き方、容姿全てにおいて「これは絶対スターになる!」と確信。

見学の時間が終わった後、マキノ校長は姿が急に見えなくなったので急いで外を見たら外のバス停にいる安室さんを発見。「スクールに通いたいの?」と声をかけて聞くと、その意志はあるけれど家庭の事情で無理だと言う安室さんに「お母さんを連れてきなさい。話し合いをしよう」と面談することを告げました。

その後、スクールに呼ばれたお母さんの平良さんは、娘を通わせるのは母子家庭にあり、まったく無理だと断り、面談のその場を去ろうとしますが、校長はしばらく考える様子を見せたあとに、「入学金も受講費もいらないから数年預からせてほしい」と提案します。実質的な特待生扱いの待遇となったわけです。

お母さんの苦労を十分すぎるほど知っていた安室さんは、お母さんの指示通り、バス賃を削り、歩いて石嶺から泊まで徒歩でスクールに通いました。時間にして1時間半。距離にして6.5Km×2倍。週に3日。でも安室さんは楽しんで参加しメキメキ頭角を現していきます。周りにも強いインパクトを与えた安室さん。琉球放送の歌番組で大活躍、スーパーモンキーズでもやがてメインのボーカルとなり活躍しました。当時のユニットの仲間牧野アンナ(マキノ校長の娘)さんも安室さんの凄さを認めていました。義務でなく楽しんで練習する安室さんを見て、アンナさんは「前面」でなく厳しくも教育の愛ある「裏方」のインストラクターとしての道に進みます。

その後本土では小室さんの力添えもありヒット曲の連発。これは誰も知る所ですね。その後97年にサムさんとの結婚、99年にお母様の逝去、02年に離婚、そして数年たち親権と養育権も得て息子さんの育児にも専念しながらスターとしての活動も継続していくこととなります。数々のヒット曲を飛ばし「アムラー」現象も沸き起こるなど社会的な影響力の強さはマドンナやガガにも劣らない程でした。

加えるとただの大スターというだけでなく慈善活動にも心をさく真摯な姿勢を持ち、様々な境遇や社会問題・災害解決のための募金を行うなど、心優しい側面も見られた事も特筆に値するでしょう。安室さんが男性を越えて女性人気が抜群なのは、歌やダンスの興味をきっかけにそのような母性本能の成す優しさや、弱い人たち、被害に見舞われた人たちのために尽くす社会性の抜きん出た魅力が、同世代や若者たちのあこがれの対象になった理由に違いありません。

安室さんは沖縄の最終コンサートの翌日、2018年9月16日の花火の日をもって引退されました。願わくばもっと歌う姿を見ながら曲の中のパワーと癒しに懐かしさを感じていたかったと思います。成人された息子さんと共に更なる幸福に包まれんことをお祈りし、今後も沖縄のうんだ優れた才能に敬意を表し続けましょう。

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