1. 要旨
Dayoung Kim(京都大学CiRA増殖分化機構研究部門 大学院生)、近藤孝之(CiRA同部門特定拠点講師、理化学研究所バイオリソースセンター(BRC)iPS創薬基盤開発チーム客員研究員、理化学研究所革新知能統合研究センター(AIP)iPS細胞連携医学的リスク回避チーム客員研究員)、井上治久(CiRA同部門教授、理化学研究所バイオリソースセンター(BRC)iPS創薬基盤開発チームチームディレクター、理化学研究所革新知能統合研究センター(AIP)iPS細胞連携医学的リスク回避チーム客員主管研究員)らの研究グループは、ヒトiPS細胞から作製したミクログリアにおいて、アルツハイマー病(AD)の最大の遺伝的リスク因子であるAPOE遺伝子の欠損が、細胞の増殖能力を著しく抑制することを明らかにしました。
研究グループは、CRISPR-Cas9技術注7)を用いてAPOE遺伝子を欠損させたヒトiPS細胞株を樹立し、ミクログリア様細胞へと分化させました。解析の結果、APOE欠損ミクログリアでは脂質滴の蓄積や炎症反応(NLRP3インフラマソーム注8)の活性化)が亢進するだけでなく、細胞周期に関連するNUPR1-p21経路およびTGF-betaシグナルの変化を介して、増殖能が低下していることを発見しました。この増殖抑制には活性酸素種(Reactive Oxygen Species: ROS)の増加による酸化ストレスの関与が示唆されました。本研究成果は、脳内の免疫恒常性維持におけるApoEの新たな役割を提示するものであり、ADをはじめとする神経変性疾患の治療法開発への貢献が期待されます。さらに、本研究で構築された解析プラットフォームは、データ駆動型のAI解析につながるiPS細胞由来ミクログリア表現型データ取得の基盤となります。
この研究成果は2026年3月20日に米国科学誌「Journal of Cellular and Molecular Medicine」で公開されました。
2. 研究の背景
アルツハイマー病(AD)は進行性の神経変性疾患であり、アポリポ蛋白E(ApoE)をコードするAPOE遺伝子は、孤発性ADの最も強力な遺伝的リスク因子として知られています。ミクログリアは脳内の常在性免疫細胞であり、脂質代謝や炎症調節、死細胞の除去などを通じて脳の恒常性を維持する重要な役割を担っています。近年の研究により、APOE遺伝子型がミクログリアの状態を変化させることが示唆されてきましたが、ApoEがヒトミクログリアの生理機能にどのように影響を与えるかは十分に解明されていませんでした。そこで研究グループは、ヒトiPS細胞技術を用いてAPOE欠損がミクログリアの機能に与える直接的な影響の解明を試みました。
3. 研究結果
1)APOE欠損による脂質蓄積と炎症反応の評価
研究グループはまず、CRISPR-Cas9技術を用いて、AD患者由来のiPS細胞から同じ遺伝的背景を持ちながらAPOE遺伝子 を欠損させたiPS細胞株を樹立しました。このiPS細胞をミクログリアへと分化させ解析した結果、APOE欠損ミクログリアでは細胞内に脂質が蓄積していることがわかりました(図1)。

図1:APOE欠損ミクログリアにおける脂質滴の蓄積
ヒトiPS細胞由来ミクログリア様細胞の明視野および共焦点顕微鏡画像。上段は野生型、下段はAPOE欠損ミクログリアを示す。TREM2およびP2RY12はミクログリアマーカーとして免疫染色し、脂質滴はBODIPY注9)染色により可視化した。APOE欠損ミクログリアでは、野生型と比較して細胞内の脂質滴(緑色)が顕著に増加していることが確認された。
さらに、免疫応答を解析したところ、炎症応答を惹起するリポ多糖とATPによる刺激を加えた際に、正常なミクログリアと比較して炎症性サイトカイン注10)であるIL-1βの分泌が増加しており、NLRP3インフラマソームが活性化していました。
2)APOE欠損ミクログリアにおける増殖能低下
研究グループは次に、APOE欠損ミクログリアにおける遺伝子発現変動を明らかにするため、網羅的な遺伝子発現解析を行いました。その結果、細胞周期に関連する遺伝子群の発現が低下していることが明らかになりました。これらの結果を受けて、APOE欠損がミクログリアの増殖能に与える影響を解析したところ、APOE欠損ミクログリアでは正常ミクログリアと比較して細胞増殖が有意に低下していました(図2)。

図2:APOE欠損ミクログリアにおける増殖能の低下
ヒトiPS細胞由来ミクログリア様細胞における増殖マーカーの免疫染色。Ki67(緑)およびEdU(マゼンタ)により増殖細胞を検出し、ミクログリアはIBA1(白)で標識した。APOE欠損ミクログリアではKi67陽性細胞およびEdU陽性細胞が減少しており、増殖能の低下が確認された。
さらに解析を行ったところ、細胞周期制御に関与するNUPR1-p21経路およびTGF-βシグナル経路の変化が認められました。これらの結果から、ApoEはミクログリアの細胞周期制御にも関与していることが示唆されました。
3)APOE欠損ミクログリアにおける酸化ストレスの増加
さらに、APOE欠損ミクログリアにおける増殖能低下の背景にある機構を明らかにするため、トランスクリプトーム解析の結果を詳しく検討しました。その結果、APOE欠損ミクログリアでは、酸化ストレスに関わる経路の変化が認められました。そこで細胞内ROSを測定したところ、APOE欠損ミクログリアでは正常ミクログリアと比較してROSが増加していました(図3)。

図3:APOE欠損ミクログリアにおける細胞内ROSの増加
ヒトiPS細胞由来ミクログリア様細胞における酸化ストレスの評価。活性酸素種(Reactive Oxygen Species: ROS)はCellROX(オレンジ)により検出し、ミクログリア細胞はIBA1(白)で標識した。APOE欠損ミクログリアでは、野生型と比較してCellROXシグナルが増加しており、細胞内ROSの増加が確認された。
酸化ストレスは、細胞周期の停止や細胞機能の変化に関与しています。これらの結果から、APOE欠損ミクログリアでは酸化ストレスが亢進しており、それがNUPR1-p21経路を介した細胞周期制御の変化、ひいては増殖能の低下に関与している可能性が示唆されました。
4. まとめ
本研究では、ApoEが脂質輸送体としての役割を超えて、ミクログリアの増殖能力を維持していることを見出しました。ミクログリアの増殖とクラスター形成は、脳内のアミロイド斑に対する重要な防御反応の一つと考えられています。今回の発見は、ApoEの機能不全がいかにしてミクログリアの防御機能を損なわせるかの理解を提供するものであり、今後ミクログリアの増殖能力を正常化させることでADの進行を抑制する、新しい治療法の開発につながることが期待されます。
7. 用語説明
注1)アルツハイマー病(AD)
認知機能の低下を伴う進行性の神経変性疾患であり、脳内におけるアミロイドベータの蓄積やタウタンパク質の凝集を特徴とする。発症には加齢や環境要因、遺伝的要因が複雑に関与しており、脳内の免疫細胞であるミクログリアが病態の進行を左右する重要な役割を担っていることが近年の研究で示されている。
注2)神経変性疾患
脳や脊髄の特定の神経細胞が徐々に失われ、認知や運動機能が低下する進行性の病気の総称。
注3)Apolipoprotein E(APOE )
アポリポ蛋白E(ApoE)の設計図となる遺伝子であり、ApoEタンパク質は脳内での脂質輸送において中心的な役割を果たす。APOEの遺伝型は、アルツハイマー病のリスクをさせる最大の遺伝的リスク因子として知られ、病態との関わりが注目されている。
注4)ミクログリア
脳内に存在する常在性の免疫細胞で、脳内の監視や老廃物の除去、炎症調節を通じて脳の健康を保つ働きをしている。
注5)NUPR1-p21経路
酸化ストレス等を感知して活性化し、細胞増殖や細胞周期を停止させるスイッチのような役割を果たす経路。
注6)TGF-betaシグナル
細胞の増殖や免疫機能の維持を制御する重要なシグナル伝達系。
注7)CRISPR-Cas9技術
ガイドRNAにより特定のDNA配列を認識し、Cas9酵素がその部位を切断することで遺伝子の改変を可能にするゲノム編集技術。
注8)インフラマソーム
細胞内のタンパク質複合体で、病原体や細胞の損傷を感知して炎症性応答を促すシステム。
注9)BODIPY
中性脂質を蛍光で染色するために用いられる蛍光色素の一種で、細胞内の脂肪滴を可視化するためによく使用される。
注10)炎症性サイトカイン
免疫細胞などから分泌され、炎症反応を促進するシグナル分子であり、感染や組織障害に応答して産生され、免疫細胞の活性化や炎症反応の増幅に関与する。特に IL-1β は、NLRP3インフラマソーム の活性化によって産生されることが知られている。

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