特集:駆け抜けた4years.2026
立命スポーツ編集局2年 飛鷹杏佳
2026/03/02
(最終更新:2026/03/02)
#駆け抜けた4years.2026
#立命館大学

立命館大学ラグビー部で副将を勤めた中村颯汰(すべて撮影・立命スポーツ編集局)
「ただ勝ちたい」。立命館大学のCTB中村颯汰(4年、大阪桐蔭)は、チームを強くするという覚悟で4年間を走り抜けた。ラストシーズンは副将としてチームを牽引(けんいん)。多くの紆余曲折があった4年間を振り返る。
「一緒にこのチームを強くしよう」と語り合った同期
ラグビーを始めたのは3歳の頃。兄が通っていたラグビースクールの体験についていったことがきっかけだ。気付けばラグビーをやっていたと、本人は語る。強豪の大阪桐蔭高校ではケガに苦しんだ。高校最後の全国大会は、2回戦で腰を骨折。不本意なまま高校ラグビーを終えた。それでもいくつかの大学から声をかけてもらい、進学先に立命館を選んだ。
大学入学当初は高校時代のケガを引きずっていたため、トップチームではなく、1年生だけで行う練習に参加していた。「大学選手権を本気で目指すチーム」と聞いて入学したが、この頃は実際に目にした現実との間にギャップがあったと振り返る。
特に感じたのは、試合に対する姿勢だった。
やる気を前面に出す先輩が少なく、本気で取り組もうとする方が浮いてしまう雰囲気があった。ただ、同期は熱く「一緒にこのチームを強くしよう」と本気で語り合える仲だった。

本気で語り合える同期とともに成長した
1年目の個人目標は、メンバーに入ること。経験のないポジションにも挑戦し、何とかリザーブメンバーに食い込んだ。しかし、なかなか試合に出ることはできなかった。Bチームの試合に出場した際は、試合に対するマインドや発言の少なさが気になった。自ら集合をかけ、指示を出すこともあった。雰囲気に流されず、「勝つ覚悟を持って4年間を過ごそう」と決めた1年目だった。
「アタックを考えてほしい」と託された2年目の最終節
2年目は中村にとって転機のシーズンになった。同じバックスの先輩が主将を務め、リーグワンに進む選手も多かった。チーム内にライバルも多く、スタメン争いの渦中に身を置いていた。
期待が高まって迎えた関西大学ラグビーAリーグだったが、第2節の関西学院大学戦で逆転負け。続く第3節、中村はメンバー外となった。勝てない現実を突きつけられる中、4年生同士の関係に亀裂が入り、試合中もマイナスな発言が目立つようになった。「強い選手がいても、まとまりがなければ勝てないと思いました」
チームの改革に動き出したのは、2学年上のSH北村瞬太郎(現・静岡ブルーレヴズ)だった。中村は2年生ながら唯一、リーダーだけが参加するミーティングに加わり「次の試合のアタックを考えてほしい」と任された。高校時代に学んだ戦術をもとに、近畿大学との最終節を前に全体ミーティングで発表した。チームは31-27で競り勝ち、当時の4年生が引退する際は「お前らの代は勝てよ」と何度も言われた。「かっこいい言葉ではなかったけど、とても覚えています」と中村は言う。

試合ではプレースキックも担う
積み上げたものが形になった4年目の春季トーナメント
3年目は前主将のSO山下真之介(現・三菱重工相模原ダイナボアーズ)とともに、アタックを考える立場になった。戦術を練り、練習を組み立てる。その中で強く感じたのは、一人ひとりの温度感の違いだった。「結局チームを変えるには、4回生全員がどれだけ本気になれるか」。最上級生の覚悟が、チームの基準を作るということを痛感した。
迎えたラストシーズン、中村の思いはただ一つだった。「勝ちたい」。3年間で学んだことをすべて注ぎ込む予定だった。
ただ、確立された伝統的な戦術や明確な土台はなかった。ゼロからの再構築が求められ、新チームが始動するまでにあった2週間のオフも、3日目には今年度主将を務めたNO8島正輝(4年、大分舞鶴)と集まり、話し合いを重ねた。匿名でのアンケートを実施し、率直な意見を集めた。それらを整理し、リーダーとしてやるべきことやチームとして変えるべきことを明確にした。全体ミーティングの前にはコーチにも自身の思いを伝えた。
積み上げてきたものが形になり、春季トーナメントでは創部初の優勝を飾った。大学選手権準決勝からの舞台となる国立競技場も夢物語ではなくなった。
しかし、秋の関西大学リーグ戦は初戦で関西学院大学に17-41で敗戦を喫した。「次の日になって、やっと負けたと理解しました」と中村。立て直しを図る中では、主将のケガや体調不良もあり、集合の際の声かけを担うことも増えた。できる限りの修正を重ねたが連敗。現実は厳しかった。2勝5敗の7位でリーグ戦を終え、大学選手権出場はかなわなかった。

覚悟を持って全力で走り抜けた4年間だった
「もう1年頑張ったら、もっと良いチームになる」
ケガを抱えたまま毎週のように試合に出続けた中村の体は、正直なところ悲鳴を上げていたという。ただ、後悔はない。「結果は出なかったですけど、その時のベストやと思うことをやってきました」
あと1年あれば、もっとこんなことができたかもしれない。そんな思いは確かに残っている。それでも「やり切った」と言い切れるのは、4年間戦い続けたことを誇りに感じているからだろう。
最後に、後輩たちへメッセージを求めると、こう答えてくれた。「1年でチームを変えるのは、本当に難しいって痛感しました。でも、良いと思う部分は伸ばして、悪いと思う部分はどんどん変えていってほしい。もう1年頑張ったら、もっと良いチームになるって確信してるんで」
覚悟を持って、最後まで勝ちにこだわり続けた4年間。その背中が、次の世代に受け継がれていく。
![]()

WACOCA: People, Life, Style.