2026年1月26日、ロンドンの競争上訴審判所(CAT)が下した一つの決定は、PCゲーム業界における「絶対王者」の足元を揺るがす震源地となった。

Valve Corporationが運営する世界最大のPCゲーム配信プラットフォーム「Steam」に対し、英国のデジタル権利活動家Vicki Shotbolt氏が主導する集団訴訟(クラスアクション)の進行が正式に認可されたのだ。請求額は最大で6億5600万ポンド(約9億ドル/約1350億円)。原告団が代表するのは、約1400万人の英国ゲーマーだ。

この訴訟は、単に「ゲームの価格が高い」という不満を問うものではない。デジタルプラットフォームが構築した「不可視の城壁」――すなわち、競合他社を排除し、高い手数料率を維持し続けるための構造的な市場操作の是非を問う、極めて戦略的な法廷闘争である。

本稿では、なぜValveが被告席に立たされることになったのか、その背後にある経済的メカニズム、そしてこの判決がデジタル経済全体に及ぼす影響を見ていきたい。

「Steam税」と「価格の檻」:訴訟の核心的論点

Vicki Shotbolt氏および法律事務所Milberg London LLPが提起した訴えの核心は、Valveがその支配的地位を濫用し、英国の消費者に不当な高値を強いているという点にある。その主張は、大きく分けて以下の3つの「市場歪曲メカニズム」に集約される。

1. 30%手数料の硬直性と過剰性

Steamは、プラットフォーム上で販売されるゲームの売上に対して標準30%の手数料(コミッション)を徴収している。原告側は、デジタル配信の限界費用がほぼゼロに近づいている現代において、この料率は競争市場では正当化できない「過剰な価格設定」であると主張する。

Epic Games Store(12%)やMicrosoft Storeといった競合がより低い手数料を提示しているにもかかわらず、Steamの手数料が高止まりしている現状こそが、市場競争が機能していない証であるという論理だ。

2. 価格パリティ条項(PMFN)による競争阻害

本訴訟で最も致命的な争点となるのが、プラットフォーム最恵国待遇(Platform Most Favored Nation: PMFN)条項の存在だ。

原告側の主張によれば、Valveはパブリッシャーに対し「Steam以外で、Steamより安い価格で販売してはならない」という契約上の義務、あるいは実質的な圧力を課しているとされる。これにより、例えばEpic Games Storeが「手数料が安い分、ゲーム価格を下げて消費者に還元したい」と考えても、パブリッシャーはSteamとの契約違反を恐れて価格を下げられない。

結果として、市場全体で価格がSteamの高水準に固定され、消費者は安価な選択肢を奪われている――これが「市場操作」と呼ばれる所以である。

3. エコシステムの強制的囲い込み

第三の論点は、ダウンロードコンテンツ(DLC)やゲーム内アイテムの購入に関する制限だ。Steamで購入したベースゲームの追加コンテンツは、必ずSteam経由で購入しなければならず、他の決済手段やストアを経由できない。これは反トラスト法における「抱き合わせ(Tying)」に該当し、消費者をSteam経済圏にロックインする行為だと指弾されている。

Valveの反論とCATの判断:なぜ「Steamキー」は盾にならなかったか

Valve側は、当然ながらこれらの主張に猛反発し、訴訟の却下(Certificationの拒否)を求めていた。彼らの防御の要は「Steamキー」の存在だ。

Valveは、パブリッシャーがSteam外(Humble BundleやGreen Man Gamingなど)で「Steamキー」を販売することを許可しており、その際の売上に対してValveは手数料を徴収していない。この事実をもって「我々は独占的ではないし、価格競争はSteamの外で起きている」と主張した。また、原告側の損害額算定方法が不透明であり、1400万人の被害を一律に扱うことは不適切だとも反論していた。

しかし、競争上訴審判所(CAT)はこの反論を退けた。

判決では、Steamキーの存在が「経済分析においてやや特殊な要素」であることは認めつつも、それが集団訴訟を止める理由にはならないと判断した。Steamキーが外部で売られても、最終的に消費者はSteamプラットフォーム上でそれを有効化し、Steamのエコシステムに取り込まれる。つまり、Steamキー自体がValveの支配力を補完するツールとして機能している可能性が排除できないからだ。

CATは、Vicki Shotbolt氏の請求を「オプトアウト方式」の集団訴訟として進行させることを認めた。これは、対象期間(2018年以降)にSteamを利用した英国の消費者は、自ら「参加しない」と意思表示しない限り、自動的に原告団に含まれることを意味する。これにより、Valveは個別の苦情処理ではなく、1400万人という巨大な「集合体」と対峙することを余儀なくされた。

なぜ「Epic」は「Steam」を崩せないのか

この訴訟が浮き彫りにしたのは、デジタルプラットフォームにおける「ネットワーク効果」の恐ろしさである。

Epic Games Storeは数年前から、無料ゲームの配布や独占タイトルの確保、そして「開発者利益率88%(手数料12%)」という破格の条件でSteamに挑んできた。経済合理性だけで見れば、開発者も消費者もEpicに流れるはずだ。しかし、2025年時点での市場データ(Alinea Analytics等)が示す通り、Steamは依然として月間アクティブユーザー1億3200万人以上を擁し、年間収益160億ドル以上(2025年実績)を叩き出す圧倒的覇者である。

なぜ市場原理が働かないのか。その背景には以下の構造的要因がある。

1. ユーザーライブラリのロックイン

PCゲーマーにとって、Steamは単なるショップではない。過去20年間に購入したゲームが蓄積された「資産庫」である。友人のリスト、実績、スクリーンショット、コミュニティハブがすべてSteamに集約されているため、別のストアを利用する際のスイッチングコスト(心理的・物理的コスト)が極めて高い。

2. 双方向のネットワーク外部性

「ユーザーがいるから開発者がゲームを出す」→「ゲームがあるからユーザーが集まる」という自己強化ループが、Steamでは極限まで強固になっている。開発者にとって、Steamで販売しないことは、PC市場の大部分を捨てるのと同義だ。たとえ手数料が高くても、Steamという巨大なトラフィックにアクセスするための「通行税」として30%を甘受せざるを得ない構造ができあがっている。

3. パリティ条項による価格競争の無効化

前述の通り、仮にEpicで安く売ることが契約上(あるいは商慣習上)困難であれば、消費者がわざわざ使い勝手の劣る別ストアを利用する動機は消滅する。今回の訴訟が「パリティ条項」を問題視しているのは、この「価格競争の無効化」こそが独占維持の要石だからである。

法的・産業的インパクト:Apple・Google訴訟との連動性

英国でのこの動きは、孤立した事象ではない。大西洋を挟んだ米国でも、またEUでも、巨大テック企業の「30%ルール」に対する包囲網は狭まっている。

「デジタル・ゲートキーパー」への国際的包囲網

英国ではすでに、AppleのApp Store、GoogleのPlay Storeに対する同様の集団訴訟が進行中である。今回のValveに対する認可は、英国司法が「デジタルプラットフォームの手数料モデルは、競争法上の検証対象になる」という明確なシグナルを発したものと解釈できる。

特に注目すべきは、本訴訟を支援するMilberg London LLPの存在だ。彼らはAppleやGoogle、さらには自動車メーカーに対する集団訴訟も手掛けており、企業不正に対する「民間の検察官」として機能している。彼らの戦略は、個別の被害額が小さい(一人あたり22〜44ポンド程度)案件を束ね、巨額の賠償請求にすることで企業の行動変容を迫ることにある。

米国での並行訴訟

米国では、インディー開発者Wolfire Gamesが同様の独占禁止法訴訟をValveに対して起こしており、2024年11月にクラスアクション認定(開発者クラス)を受けている。英国の訴訟は「消費者」が原告、米国の訴訟は「開発者」が原告という違いはあるものの、争点は完全に一致している。

もし英米双方でValveが敗訴、あるいは和解によるビジネスモデルの変更を余儀なくされた場合、その影響は甚大だ。

手数料率の崩壊: 30%という業界標準が維持できなくなり、競争力のある料率(10-15%程度)への引き下げ圧力が発生する。

価格の自由化: パブリッシャーがストアごとに異なる価格を設定できるようになり、ストア間での「安売り競争」が激化する可能性がある。

サードパーティ決済の開放: ゲーム内課金において、Steamを経由しない決済ルートが認められる可能性がある。

2026年、Steamの分岐点

Valveは2025年に160億ドルという記録的な収益を上げ、携帯型PC「Steam Deck」の成功や、新たな「Steam Machine」への再挑戦など、ハードウェア分野でも勢いに乗っている。しかし、その足元にある「ソフトウェア流通の独占」という基盤は、創業以来最大の危機に瀕していると言っていい。

Vicki Shotbolt氏の「Valveは市場を操作している」という告発は、長年ゲーマーや開発者の間で囁かれてきた公然の秘密を、法廷というテーブルに引きずり出した。

今後、裁判は数年単位で続くことが予想される。Valveは強力な弁護団を擁し、徹底抗戦する構えだ。しかし、CATが「公判に進む価値あり」と認めた事実は重い。これまで「海賊版対策の救世主」や「PCゲームの守護者」として振る舞ってきたValveは、今や「規制されるべき独占者」として、AppleやGoogleと同じ法廷に立たされている。

2026年は、PCゲームの価格決定権が誰にあるのか――プラットフォーマーか、市場か――が再定義される年として記憶されることになるだろう。

Sources

WACOCA: People, Life, Style.