決勝で惨敗した4年前の悪夢を引きずるようにセレソンは苦境にあった。エース不在で予選を迷走すると主力の故障が相次ぎ、不平不満も渦巻く。彼らはいかにして窮地を脱したのか。稀代のFWと名将が織りなす不屈の物語。
「我々が優勝できたのは、選手たちが一つになり、情熱を持ち、全員がベストを尽くしてプレーしてくれたから。そして、母国ブラジルで人々が我々を熱烈に応援し、ポジティブなエネルギーをこの地球の反対側まで送り届けてくれたからだ」
その厳格さから「鬼軍曹」と呼ばれたルイス・フェリペ・スコラーリ監督は、極度の緊張から解放され、いつになくやさしい笑顔を浮かべていた。2002年6月30日、ワールドカップ(W杯)決勝戦直後の共同記者会見でのことだ。
実は、大会前、セレソン(ブラジル代表)は強い逆風にさらされていた。
エースのロナウドが’99年11月に右膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、’00年4月に一度は復帰したが、すぐに同じ箇所を痛めて再び手術とリハビリで長期の離脱。大黒柱を欠いたチームは、W杯南米予選で迷走した。監督は相次いで交代。スコラーリは最後の6試合の指揮を執り、最終節で辛うじて予選突破を決めた。
’02年に入って「ロナウドの故障が癒えつつある」という情報を得たスコラーリは、3月末の強化試合に彼を招集した。
「当時、まだクラブ(インテル)でも試合に出ていなかったが、彼の心身のコンディションを確かめたかった。チームドクターが、綿密な診察を行なった末、『故障は完治している』と判断した。本人も『是が非でもW杯に出場したい』と必死の眼差しで訴えてきた。彼の復活に賭けることにした」
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