<ぷらっと千葉 でこぼこ探訪>千葉市中央区の亥鼻公園 開府900年 ゆかりの城跡

亥鼻公園に立つ市立郷土博物館。5階展望コーナーからは千葉市街を一望できる。春には千葉城さくら祭りが開催される=いずれも千葉市中央区亥鼻で

 今年は鎌倉幕府を開いた源頼朝の重臣・千葉常胤(つねたね)の父の千葉常重が1126(大治元)年に現在の千葉市緑区大椎町(おおじちょう)から中央区亥鼻(いのはな)付近に本拠地を移し、千葉のまちを開いてから900年を迎える千葉開府900年の年である。千葉市では昨年からこの歴史の節目の年を祝うためのさまざまな記念事業が行われている。また、かつて鎌倉時代以来の千葉氏の城とされていた猪鼻(亥鼻)城跡にある千葉市立郷土博物館が、展示リニューアルのための1年余の休館期間を経て昨年11月にリニューアルオープンしたので、博物館がある亥鼻公園に行ってきた。

 亥鼻公園は千葉都市モノレールの県庁前駅から歩いて約5分、京成千原線の千葉中央駅、JR外房線の本千葉駅からだと10分少しで着く。公園は地形図で見ると分かるように亥鼻台地の角にある。亥鼻の名前は都川が流れる低地に猪(いのしし)の鼻のように延びているから付いたという説もあれば、亥は北北西を意味し、台地がその方向を向いているからという説もある。

 台地の麓にはお茶の水という湧水井戸の跡がある。源頼朝がこの地に立ち寄った際に千葉常胤が井戸から水を汲(く)んでお茶を勧めたら、ことのほか賞味されたのでこの名があるとする説があり、徳川家康が鷹(たか)狩りに来た際、喉を潤したともいわれる。この奥にある亥鼻台地への階段を上って歩くと、台地の突端に史跡猪鼻城址(じょうし)の碑と神明社がある。神社はいつ建てられたかははっきりと分かっていないが、この辺りは堀で区切られていることから、昔は見張り台があったのではないかといわれている。そしてその先を進むと大きな広場に出て、向こう側に立派な天守閣の形をした千葉市立郷土博物館が見えてくる。ただ猪鼻城がこのような形をしていたわけではなく、近世城郭の小田原城をモデルに建てられたそうだ。

 さて広場に猪鼻城跡の解説板があるが、意外なことが書いてあった。これまで猪鼻城跡で行われた発掘調査では鎌倉時代の城や館は見つかっておらず、ここにあった城は室町時代後期(戦国時代)に千葉氏の有力家臣である原氏により城郭として整備されたものという説が有力とのことである。そして火葬骨を納めた13世紀の壺(つぼ)が発見されたことから、それ以前は墓域であったと考えられている。では千葉氏が館としていた場所は実際にはどこにあったのか? かつて方形の堀・土塁に囲まれて御殿跡と呼ばれた現千葉地方裁判所の場所あたりではないかという説があるが、遺構や決定的な史料が見つかっていないこともあり、現在も千葉氏の館の場所は明確になっていないそうである。

 そして1455(康正元)年、一族の馬加(まくわり)康胤・原胤房が宗家の千葉胤直を攻め滅ぼした後、千葉氏は本拠地を千葉から本佐倉(酒々井町・佐倉市)に移す。その後、千葉のまちが歴史の表舞台に出てくるのは明治時代に入って、廃藩置県後の1873(明治6)年に千葉郡千葉町(現在の千葉市中央区)に新たに千葉県庁が置かれてからである。千葉市の歴史は博物館で分かりやすく学ぶことができる。

 公園には千葉開府800年、850年の記念碑があるので探してみてほしい。900年の記念碑も建てられるのだろう。これから50年後、そして千葉開府千年の年に県庁所在地の千葉市はどのように変わっているか、過去と未来に思いを馳(は)せてみてはいかがだろうか。(千葉スリバチ学会会長・稲垣憲太郎)

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