公開日時 2026年01月13日 05:00
![]()

アルゼンチンにおける沖縄舞踊の継承者/山本美佐子先生の歩み
この記事を書いた人
![]()
琉球新報朝刊
和歌山県で生まれて8歳の時に糸満に戻った山本美佐子さん(88)は、戦後の厳しい時代に三線の響きとカチャーシーの喜びに心を動かされ、10歳で初舞台を踏み、児童舞踊コンクールで3度の優勝を果たした。1957年、単身で姉がいるアルゼンチンに渡り、58年から沖縄舞踊の指導を開始した。当時は衣装も小物もすべて手作りで、稽古場は家々を転々とし、生演奏の三線に合わせて何度も曲を繰り返す、一歩一歩の積み重ねだった。
61年の「美曲劇団」による第1回発表会が大きな節目となる。手描きの背景幕や地域の協力者が作った舞台装飾が今も印象深い。60年代にはテレビ番組への出演、ブラジル・ウルグアイ・ロサリオへの小規模公演、数多くの結婚式出演と活動は一気に広がりを見せた。
99年には沖縄本部の平良富士子先生の許可を得て「円(つぶら)の会・アルゼンチン支部」として新たな歩みが始まった。個人名を冠した「山本流」のような呼称を避けた。
つぶら(円・丸)の名には、子どもたちが輪をつくって集まり、互いに支え合いながら成長してほしいという願いを込めた。
2008年(沖縄県系人移民100周年)と10年(アルゼンチン建国200年)のアベニダ・デ・マヨ・パレードをはじめ、11年以降のFANA秋祭りなど多数のイベントに出演する。14年に行われた秋篠宮殿下アルゼンチン御来訪の歓迎会(OKIREN)では、つぶらの会の少女12人が「ゆいゆい」を披露した。
24年、山本さんは在アルゼンチン日本国大使館主催の「春の叙勲式」において、アルゼンチン日系社会および沖縄県人コミュニティーへの文化貢献により旭日単光章を受章された。
現在、つぶらの会はCOAとバレラで活動を続けており、子どもたちは幼稚園から大学生になるまでともに成長してきた。言葉が分からなくとも、誰もが理解できる「山本先生の言葉」が存在する。半世紀以上にわたり舞踊と心を伝えてきたその歩みは、アルゼンチンの沖縄コミュニティーの宝であり、未来へ受け継がれる大切な文化となっている。(大城リカルド通信員)

WACOCA: People, Life, Style.