「しばらくの間、親切心に触れた」

その晩、カールトンさんは同僚たちと食事に出かけた。着ていたのは、ジェット燃料まみれの服だった。それしか持ち合わせていなかったからだ。見知らぬ親切な人が食事代を支払ってくれた。

同じ夜、ホテルの部屋から妻のキャロリンさんと子どもたちに電話をかけた。通話料は170ドル(現在のレートで約2万6000円)に上った。

翌朝、ホテルの土産物店に入ると、ニュースを見て事情を察した見知らぬ男性がトラックに戻って自分のスウェットシャツを持ってきてくれた。

その後、トロントで面会予定だった企業がスウェットパンツや洗面用品を購入し、全員を帰国させてくれた。

「世界ではいろいろなことが起きているが、しばらくの間、親切心に触れることができた。それが本当に新鮮だった」とカールトン氏は振り返る。

デルタ航空はその後、搭乗者全員に「条件なし」で3万ドルの現金を提示した。

「もう同じ自分ではない」

ピート・カールトンさん一家/Courtesy Pete Carleton
ピート・カールトンさん一家/Courtesy Pete Carleton

カールトンさんは事故後、初めての冬を迎えている。

「ここでは最初の吹雪があった」とカールトンさん。「うなる風と吹き荒れる雪で目が覚め、またあの滑走路にいるような感覚に陥った」

運転中に床下や窓から上がる火を目にする夢を見ることもあり、それはまるで飛行機の窓越しに見たあの炎のようだという。

現在は、眠るときにホワイトノイズを流し、気を紛らわせて落ち着こうとしている。

トラウマは、日常生活のさまざまな場面にも影響を及ぼす。

聴力障害を負い、話し方も変わった。事故直後、妻から声が以前と違うと言われたとカールトンさんは振り返る。しかしそれだけではなかった。

妻のキャロリンさんによれば、事故直後のカールトンさんは「どこに行こうとしているんだ? 何をしようとしているんだ?」といった感じだったという。

「違っていた。彼は聞いてはいるけれど、聞いていない。返事はするけれど、ちゃんと反応していない」(キャロリンさん)

現在もカールトンさんは仕事を続けているが、出張はしていない。仕事は治療になるとしつつも、カールトンさんは物事が以前の状態に戻ったわけではないと認める。「頭を整理する時間は取った。でも、自分はあのときの自分とは違う」

飛行機に乗ることはいまも大きな課題だ。事故後に数回搭乗したが、ひとりでは無理だという。あるときはずっと妻の手を握りしめていた。

カールトンさんは妻と列車で旅行する予定で、引退後には海外にも行きたいと考えている。デルタ航空を利用するつもりではいるが、冬は避けるという。

パニック発作や冬の飛行への恐怖など、トラウマは残っているが、カールトンさんはそうしたものから逃れ、前向きな影響をもたらしてくれる方法を見つけた。

猛禽(もうきん)類への関心を深め、ミネアポリスの猛禽類センターでボランティアとして野生生物の保護を手伝っているのだ。小さな一歩だが、始まりだとカールトンさんは感じている。2度目に与えられたチャンスで自分のまわりの世界を変える別の方法を見つけたいという。

「還元したい」。カールトンさんはそう話す。

トロントでの恐怖の出来事が、生涯つきまとうであろうことをカールトンさんは認識している。そして命が助かったことに感謝しつつも、どうしても自問せずにはいられない。「なぜ。なぜ自分は生きているのか。自分は何をすべきなのか」

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