「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
Photo: Adobe Stock
インド人にとって「アルコール=悪」
忘年会、新年会のシーズンになると、日本の街は酔っ払いであふれてくる。
年末年始を日本で過ごすためにインドから日本に帰ってきて、久しぶりに電車に乗ると、酔っ払ったサラリーマンが電車の床で寝ていたり、盛り場帰りの大声の集団がしゃべっていたりして、その光景はインドを知る目から見てもカオスだ。
こんなことを言うと、まさかと思うかもしれないが、「アジア」と呼ばれる日本からトルコまでの1万キロ弱の長さのユーラシア大陸の中で、アルコールに一番寛容で、だらしない振る舞いを許容しているのは、日本、韓国、中国の極東アジアの三国だ。
それ以外の東南アジア、南西アジア、そして中東と呼ばれる地域に至るまで、アルコールを飲む行為は社会一般的にネガティブな行為であり、酔っ払いはひどく軽蔑されるべき対象になっている国ばかりである。
中東各国などのイスラム教国は言うまでもない。それだけでなく、これだけなんでもありのインドでも、アルコール=悪という認識は強く、州によってはアルコールを提供できない州もある。結婚式など神聖な場ではアルコールは禁止され、外交の場でも位が高い人々はアルコールを飲まない。(少なくとも人前では)
なぜ日本人はアルコールに寛容なのか
日本の会社で起こるセクハラ・パワハラ・暴力トラブルも、ほとんどが飲酒状態で発生している。これだけ社会に対して害悪を振りまいていれば、アルコールを飲む行為自体を社会全体が冷たく軽蔑してもよいくらいだが、日本はそうはなっていない。
アジアの中で、平均的な知能指数も高く、克己心が強そうな極東の三国の人々が、アルコールについてだけ、社会と自己を制御できていないというのは、外国から見ていると不思議だ。電車の中で吐いたり、床にひっくりかえって動かなかったり、トラブルを起こす人々を見ると、百害あって一利なしというアルコールを社会の悪者にしないのは興味深い。
アルコールへの寛容度と社会の特徴について述べた研究を見てみると、社会のもともとの「不寛容度」の高さが、飲酒でハメを外すことを許す文化に繋がっていると示唆するものが多数見つかる。つまり、常日頃から集団のことを考えて生きており、社会規範による縛りが大きいので、アルコールという装置を使って人々が息抜きすることを社会全体として許しているというわけだ。
インド人はアルコールに頼らない?
言われてみれば、他のアジアの国々とビジネスをすると、良くも悪くも自分勝手で、時間感覚もテキトーな人々に出くわす。それに対して極東の三国は比較的統率が効いていて、特に日本は、まるで全員が兵隊かのように規律正しく人が動くし、約束も守ってくれる。その裏にあるのは、文字通り「飲まないとやっていられない社会」ともいえるのだ。
「インドはいつもジコチューだから、アルコールに頼るまでもない」。ちょっと極端かもしれないが、そういう目線で見てみると、一体彼らはどこまで自由に生きているの?とインド民のことが気になってきた方もいるだろう。
『インド人は悩まない』では、ひたすらに自分の人生を生きるインド民の生き方と、そこから学べる究極の合理思考を紹介している。ぜひ、そのこの本の中から、日々の悩みから解放されるヒントを見つけ出してほしい。
(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)

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