戦争の記憶を生々しく伝えるその機体は偶然海底で見つかったものでした。
その引き揚げの経緯が分かる公文書が今年、見つかりました。
証言と併せてお伝えします。

【写真を見る】“幻の戦闘機”と呼ばれた紫電改 国内唯一の機体 引き揚げの経緯が明らかに

■(1)「紫電改の発見」

1978年、愛媛県愛南町沖の海底でダイバーが偶然見つけた1機の飛行機。

発見した久保巧(77)さんは、機体はほぼ原型を留めていて、すぐ「戦闘機」だと分かったと振り返ります。

(紫電改を発見した久保巧さん)
「影が見えて船かな石かなと思って近付いたら4枚のプロペラが目の前に現われ、『えっ!?飛行機だ』と思った。操縦かんを握って白骨遺体がこっちを睨んでいるかと思って、急にこわくなって慌てて戻ってきて…」

ほどなくして、見つかった機体は当時、「幻の戦闘機」と呼ばれていた紫電改だと
判明しました。

■(2)「紫電改の元パイロットの証言」

「紫電改」は、太平洋戦争末期、旧日本海軍が当時の技術の粋を集めて開発、実戦配備された最後の戦闘機です。

引き揚げられた機体は、1945年7月に豊後水道上空でアメリカ軍と交戦し、帰還しなかった6機のうちの1機とみられることが分かりましたが、機体の中から遺骨は見つかりませんでした。

(遺族)
「これだけでも見て帰ったら満足です」

紫電改が配備された「343航空隊」は、本土防衛のために編成され、全国から優秀なパイロットが集められました。
松山基地などを拠点に米軍機を迎え撃つ任務にあたり、パイロットの6割以上が命を落としました。

紫電改の元パイロットで、
4年前に亡くなった故笠井智一さんは2016年、次のように証言していました。

(紫電改の元パイロット・故笠井智一さん)
「空中戦する時もあっちで火を吐いて落ちている。こっちで落ちている。誰が落とされたか全然わからん」

「基地に帰って、ご飯を食べる時に椅子が多く余っとるな。未帰還やな。それで、大体何人ぐらい戦死しているのがわかる」

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