仲村トオル、『ビー・バップ・ハイスクール』40年前の撮影秘話を赤裸々告白「地元の不良に完全に囲まれて…」 中山美穂さんとのエピソードも明かす 『清水 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎祭』舞台挨拶
え、こんにちは。えっと、中村徹です。 えっと、今日今ちょっとあの、超を 通り越して明獣生まれの男をやっているの で、あの、顔面がビーバップじゃない状態 になってますけど、え、本当に今日はあの 、40年も前の映画を見に来てくださって 本当にありがとうございます。え、 ちょっと短い時間かもしれませんけど、 あの、楽しんで帰っていただけるように 頑張ります。よろしくお願いします。 もちろん40年前には40年後にこんな日 が来るとか来ないとかいうことすら全く 考えていなかったんですけど、いや40年 経ってもあの映画のことを忘れないで、え 、呼んでくださる、地元の映画として呼ん でくださる、あの清水の皆さんの温かさと 愛情にとってもあの感謝感激しております 。え、でも40年って30年目の時には そんなに自分が長いことやったとは思わ なかったんですけど40年目の今年はそう いえば40年前の40年前って昭和20年 だなって思って40年ってやっぱすごい なってちょっとあんまり自分のことで すごいなって思ったりしないんですけど それは今年はあのかなり思いました。はい 。 キャスト人の皆さんは商店街の中にある清水シティホテルに宿泊されたということを聞いているんですけれども、中村さんその日の撮影が終わってからというところでの共演者の方と皆さんとの思い出みたいななんか覚えてらっしゃるところありますでしょうか? え、今清水シティホテルのって言われて真っ先に思い出したのがみんなで僕の部屋だったから誰かの部屋に集ま って当時やっていた夜のヒットスタジオを みんなで見ました。で、その回はホイニー ヒュースンが出ていて、 セービングmyloveフォっていう すごい素敵な曲を歌ったのを聞きながら なんか本当になんか自分が俳優になったと いう自覚すら大してなかった時期ですけど 、なんか映画の撮影で清めずに来てホテル でホイットヒュースの歌を聞いている なんて夢のようだなって思った記憶があり ます。 なるほど。そうだったんですね。 ちなみに、ま、その後、ま、乱闘もされていらっしゃるとは思うんですけれども、じゃ、その楽さと見たのが結構あるっていう感じですかね。そういうホテルでの思い出もありながらみたいな。 いや、もう本当にその昭和60年の、え、 8月までは、え、東京の岡町の本屋さんで バイトしてた普通の大学生だったので、楽 という意味ではもう全然違う本当に非日常 が毎日みたいな感覚でしたけど、ええ、で もやっぱりすごく楽しかったです。撮影が あのやっぱりみんなすごいそうですね、 熱量でスタッフもキャストもあの取り組ん でましたし、それこそあの 何十年経ってもま、関さんこれ覚えてるし 僕は実は覚えてなかったんですけどあの 電車の 飛び、え、蹴り落としとあの投げ落としは 何回やったんだっていうのをよく論争 になりますよね。 らしいですね。でもやった人が覚えてるんで。 もそうですよね。僕の中では 3 回ぐらいやっぱやってるっていう印象だったんですよ。 ああ。は でカメラマンの亡中なったカメラマンの森さんは 4キャベ取ったとかって言ってて。 それは でもこないだあのさよなら丸の内東の時のチーフチーフ官監督だった鹿島さんは 1回だって言い張ってましたね。 そうなんです。そう、そう、そう。ちょっと危ないくらいの弁で言い始ってましたよね。 いや、それはやった本人が 1番思いです。 そうですよね。そうですよね。はい。 ていうぐらいなんかそうですね、何十年経ってもそのことに関する熱量が誰からも失われないというとても珍しい作品だと思います。 ありがとうございます。ま、そういうB のヒロインといえば中山美さんですけれども、中山さんとの思い出何か印象的に残ってることございますでしょうか? え、そうですね。 僕みおちゃんと多分うーん、 最後にあったのはえっと 2016年の 妙ちゃんが東京の下北沢の本田劇場という ところに魔術というお芝居に出演している 時に僕が見に行って楽屋を尋ねた時が、え 、多分最後だったんですけど、その前の年 に、え、2015年に、え、僕野田秀さん のエックっていう芝で、あの、フランスの パリ公園があったんですけど、パリ公園の 先週に妙ちゃんが見に多分当時住ん でらっしゃったんじゃないかと思うんです けど、あの、先週にみおちゃんが見に来て くれて、で、先週だったんで終わった後屋 の広めの部屋でみんなでシャンパンで乾杯 した時にもみおちゃんもいて少し話したり したしてたんで、その翌年に下北沢の劇場 の学園に行った時に僕が パリもお似合いですけど下北沢もお似合い ですねってちょっとふざけて言ったんです けどそしたら後日えその魔術というお芝居 を見に行ったあのチームバチスタの栄光と いうドラマのプロデューサーの山木さんて いう方がみほさんが徹さんにこう言われ たって言って嬉しそうにしてたよって言っ てくれてま僕も嬉しかったですしなんか その時のえみほちゃんのなんか喜んでくれ たのが俺のちょっとまそうですね、あの 冗談めたコメントに喜んでくれたのかなっ ていうような笑顔がすごく、え、そうです ね、ま、その笑顔のまんまで僕の中で 止まっているというか、行き続けていると いうか、あの、そんな感じです。はい。 ご作姫になると高校与太郎温度ですね。 大徳と北道全面戦争が描かれますが、 やはりラストの小沢ひさんとの演じる信吾 とのタイマが印象的だったと思います。 ま、閉鎖したショッピングモールの中をこうか駆け回りながら繰り広げる数々のアクションシーンありますが、特に何か強く残ってるエピソードとか中村さんございますか? えっと、そのあれは群馬県の高崎のえっと廃墟になっていたビルを、え、ショッピング モールというか百貨下貨店風に飾ってやった中で何日もやってたんです だんだん地元の不良が集まり始めて、え、何日目かに撮影が終わった時、完全にビルの周りを囲まれていて はい。 えっと、屈境なスタッフとあの処両部に西村君って言たんですよ。西村君って西村翔さんっていう監督の息子な。 西村君まあまあでかい暴走族のリーダー だった人で西村君とかあと衣装のおじさん と一緒にねワンボックスに乗ってあの何か あったら俺たちが守るからみたいな状態で あのあのロケ現場から帰ったのをとても よく覚えています。はい。40 年が経った今を振り返って見てこの B バハイスクールという作品は皆さんにとってキャリアの原点代表作などそれぞれどのような位置づけにある作品なのか教えていただけますでしょうか?中村さんから。 いや、本当に 間違いなく自分の人生を良い方向に劇的に 変えてくれた作品ですし。いやあ、それも もうあの今日もあの商店街のイベントでも 言いましたけど、あ、あれだけの撮影を 許してくれた、え、静岡清水の、え、皆 さんいろんな会社の方々のおかげであの 映画がヒットして 今日まで俳優として生き流れることができ たっていう意味では本当にそうですね。 大感謝な。うん。すごい大切な映画です。はい。 いや、さすが40 年経つと、え、空の方に行ってらっしゃる、え、スタッフの方々、キャストも何人か、え、いるんですけど、多分みんな見てくれてて、喜んでくれてるんじゃないかなって。 40 年経ってもこんなにお客さん来てくれるよ。 しかも北海道とか沖縄から清水までね、え 、本当にあの そうですね、こんなに長く愛される作品で デビューできたというのは幸せだったなっ て改めて思います。え、本当に今日はあの 見に来てくださってありがとうございまし た。 ありがとうました。以上で舞隊
俳優の仲村トオルが13日、静岡・清水駅前銀座商店街にて行われた映画『ビー・バップ・ハイスクール』(1985年)の劇場公開40周記念イベント『清水 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎祭』オープニングセレモニーに登壇した。
映画の数多くのシーンで撮影のロケ地となった同所にて開催されたオープニングセレモニーでは、会場に詰めかけた約300人のファンに迎えられ、俳優デビューを飾った本作への想いや、撮影当時の思い出などを語った。
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