2025年12月7日、パリ西方フラン=シュル=セーヌにあるルノーの歴史的工場を舞台に、特別なオークションが開催される。Artcurial Motorcarsによる「The Renault Icons ― Sélection provenant de la collection Renault」。これは単なるクラシックカー・オークションではない。ルノーが125年以上にわたって蓄積してきた“企業の記憶”を、初めて公に市場へ解き放つ歴史的な瞬間である。
今回出品されるのは、ルノーが社内ミュージアムとして長年保管してきた歴史的車両、F1マシン、コンセプトカー、プロトタイプ、さらには工場で実際に使われていた時計や備品といったオートモビリアまでを含む、極めて幅広いコレクションだ。その多くは非公道車であり、「走るための車」ではなく、「語るための車」であることがこのオークションの性格を象徴している。
1984年 ロータス 95T-4(Formule 1)を中心に、スクーターや小型モビリティ、レーシングスーツ、ヘルメット、関連パーツまでがひとつの空間に集約された展示エリア。ブラック×ゴールドのジョン・プレイヤー・スペシャルを纏ったルノーV6ターボ搭載F1マシンが象徴する「速度の頂点」と、その周囲に並ぶスクーターや市街地向け二輪モビリティが担ってきた「日常の移動手段」とが同時に提示され、ルノーというブランドが極限のレース技術から都市の足までを一貫して手がけてきた事実を立体的に物語っている。レーシングと市民生活、その両極を同一空間に同時に可視化した構成は、本オークション展示の中でも特に象徴的な一角である。
なぜ今、ルノーは“手放す”のか
ルノーが自らのヘリテージを市場へ送り出す背景には、2027年に予定されている新たなヘリテージ施設の開設計画がある。フラン工場敷地内に建設されるこの施設には、1898年のType Aから最新のコンセプトカー、F1マシン、アート作品、アーカイブまでを一体的に展示する巨大な「生きたミュージアム」が構想されている。
今回のオークションは、その準備段階として行われる“セレクション(選別)”でもある。重複する個体や保存方針上の整理対象となった車両を市場に委ね、同時にコレクションの中核をより明確に再構築する――これは単なる売却ではなく、未来へ向けたヘリテージ戦略の再編なのだ。
フラン=シュル=セーヌという場所の意味
会場となるフラン工場は、ルノーにとって特別な意味を持つ。1952年の操業開始以来、ここで生産されたルノー車は1800万台以上。ドーフィン、4CV、ルノー4、ルノー5、クリオ四世代、そしてZOEまで、フランスの国民車の歴史そのものがこの地で形づくられてきた。
1985年 ルノー 5 マキシ・ターボ “PHILIPS” レプリカ。グループB時代を象徴するミッドシップ・ターボマシン、5 マキシ・ターボのワークスカラーを再現した1台で、elf、PHILIPS、MICHELINといった当時の主要スポンサーのロゴがそのまま車体を覆う。極端に張り出したワイドフェンダー、ボンネット上のエアインテーク、そして4灯補助灯を備えたフロントフェイスが、1980年代ラリーの狂騒と技術競争の記憶を鮮烈に呼び起こす。量産車ルノー5をベースに、競技用へと徹底的に作り替えられた“市販車起源の怪物”である。
2000年代ルノーのデザインスタディを示すコンセプトカー。大きく湾曲したガラスキャノピーと、ボディ中央で大胆に切り替えられたツートーンカラーが特徴で、当時のルノーが模索していた「コンパクトカーの新しい室内空間」と「親密性を重視したモビリティ像」を造形的に表現している。量産化を目的としない自由なプロポーションと素材使いは、実用車とは異なる文脈でブランドの未来像を提示する“思考のためのクルマ”としてのコンセプトカーの役割を明確に物語っている。
量産車へと至るまでのデザイン検討過程を示す各時代のスタディモデル群。クレイモデルやハードモデル、スケールモデルが段階的に並び、ルノーがプロポーション、キャビンボリューム、ウインドウライン、リアハッチ形状といった要素をいかに試行錯誤しながら煮詰めていくか、そのプロセスが立体的に可視化されている。完成車の背後に存在する「思考の痕跡」を物として残した、極めて資料性の高い展示である。
ルノーの未来像を示すコンセプトモデルと量産車デザインスタディが並ぶ一角。中央には有機的なシェル状ボディと大型ガラスキャノピーを持つ未来志向のコンセプトが据えられ、左右には量産化を見据えたプロポーション検討用モデルが配置されている。実用車の設計思想と、自由な発想に基づく実験的造形とが同時に提示され、ルノーが量産と創造性の両立をいかにデザインプロセスの中で成立させてきたかを象徴的に示す展示構成である。
近年この工場は「Refactory」として再出発し、リサイクルと再生を軸とした次世代モビリティ拠点へと姿を変えた。そして2027年、その延長線上にルノーのヘリテージ施設が誕生する。“生産の現場”が“記憶の現場”へ転換される過程において行われるオークション――それが今回の最大の象徴性である。
会場外には屋外展示スペースも設けられ、量産モデルからツーリングカーまでが並べられた。早朝、霜に覆われて白く凍りついていた車両は、太陽が昇るにつれてゆっくりと氷が解け、やがてボディ全体が無数の水滴に包まれていく。冬の冷気と朝の光が、マシンの輪郭と存在感をいっそう際立たせる瞬間である。
ルノーの原点を示す存在
1901年 ルノー Type D
1901年 ルノー Type D ヴォワチュレット。1899年のType Aに続く初期改良型として登場し、同年にグラン・パレで開催された第3回パリ・モーターショーにも出展された系譜に連なる1台。単気筒エンジンを搭載し、デ・ディオン製機構、ダッシュボード上の注油装置、レバー操作によるドライビング系など、黎明期の自動車技術をそのまま体現する構成を持つ。1965年よりルノーの公式コレクションに収蔵されてきた由緒ある個体で、ロンドン〜ブライトン・ベテラン・カー・ランへの参加資格も有する。推定価格5万〜7万ユーロ、最低落札価格なし。
今回のオークションを象徴する1台が、1901年式「ルノー Type D ヴォワチュレット」だ。1899年のType Aに続く改良型として登場し、同年にグラン・パレで開催された第3回パリ・モーターショーにも展示されたモデル系譜に属する。
単気筒エンジン、デ・ディオン機構、ダッシュボードの注油装置、レバー式操作系といった構成は、まさに自動車史の原点そのもの。1965年からルノーの公式コレクションとして保管されてきた由緒正しい個体で、ロンドン〜ブライトン・ベテラン・カー・ランへの参加資格も有する。推定価格は5万〜7万ユーロ。100年以上前のルノーが、なお“走る存在”として市場に姿を現す事実そのものが、このオークションの歴史的価値を雄弁に物語っている。
もうひとつの象徴
1898年 Type A の公式レプリカ
1998年製 ルノー Type A 公式レプリカ(原型:1898年)。ルイ・ルノーが最初に製作した“最初のルノー”を、創業100周年を記念してメーカー主導で忠実に再現した8台のうちの1台。現存する実車を基に設計され、実機同様のディオン製エンジンと当時の構造を忠実に再現したトランスミッションを備える。展示用にとどまらず走行可能な仕様とされており、ルノーの原点を“動く存在”として体験できる貴重な個体である。推定価格3万〜6万ユーロ、最低落札価格なし。
1898年、ルイ・ルノーが最初に製作したType A。その“神話的存在”を再現した1998年製の公式レプリカも出品される。これは創業100周年を記念し、メーカー主導でわずか8台のみ製作されたうちの1台である。注目すべきは、忠実なトランスミッションを備えた走行可能仕様である点だ。展示物ではなく、「動く最初のルノー」を体験できる存在であり、推定価格3万〜6万ユーロという設定は極めて戦略的でもある。
ルノーF1黄金期の“記憶”も並ぶ
カタログには1980〜90年代のF1マシンも多数含まれる。RE27B、RE30B、RE40、RE50、RE60、さらにはウイリアムズFW19、ベネトンB197といった“ルノーエンジン黄金時代”を象徴するシャシー群だ。これらの多くはショーカー、研究用シャシー、展示用個体であり、走行目的ではない。しかしそれゆえに、勝利の証明としてのF1マシンが、純粋な「技術遺産」として扱われている点が今回のオークションの本質でもある。
1980年代から2000年代にかけてのルノーF1およびエンジンサプライ時代のフォーミュラマシンが一堂に集結。ワークスとして戦ったREシリーズ、そしてベネトンやウイリアムズに供給されたルノーV6エンジン搭載車までが連なり、ターボ時代から自然吸気時代へと移り変わるF1技術史の流れを俯瞰できる構成となっている。ルノーが“自らの名”と“エンジンサプライヤー”の両面で築いてきた勝利の系譜を、実車によって視覚的に提示する象徴的な展示である。
1982年 ルノー RE30-B9(フォーミュラ1)。ルノーがターボ時代に確立したグラウンドエフェクト思想を本格的に投入したワークスマシンの最終進化型。1.5リッターV6ターボエンジンを搭載し、ミシュランタイヤとelfの支援体制のもとで1982年シーズンを戦った。写真の個体はルネ・アルヌー仕様のカラーリングを持ち、サイドポンツーン形状や低く抑えられたノーズ処理に、当時の空力設計思想と過給機時代特有のパッケージングが色濃く表れている。
1984年 ルノー RE50 系フォーミュラ1マシンのパワーユニット周辺。1.5リッターV型6気筒ターボ・エンジンのシリンダーヘッドが露出した状態で展示され、吸排気ポート、バルブスプリング、ヘッドボルト配置までが直接確認できる。トランスミッション直前に配置されたターボ補機類、フレーム内を這うオイルおよび冷却ライン、耐熱処理された隔壁など、1980年代ターボF1に特有の“熱との戦い”を前提としたレイアウトが如実に伝わる構成である。
フォーミュラ・ルノーのワンメイクマシンが世代違いで3台並ぶ展示。いずれも若手ドライバーの登竜門として用いられてきた育成カテゴリー用シャシーで、空力デバイスを極力排したシンプルな外観と、機械的なグリップとドライバー操作を重視した構成が特徴となる。F1や耐久レースの頂点へと続く前段階として、ルノーが長年にわたり“育成の場”を継続して提供してきたことを、実車によって物語る象徴的な一角である。
ルノーは過去を売っているのではない
ルノーは今回のオークションについて、「情熱ある愛好家に歴史の一部を託すための機会」と位置づけている。過去を清算する行為ではなく、未来に向かって歴史を再配分する行為だ。
フラン工場という“生産の記憶”の中で行われるこの放出は、2027年に誕生する新たなヘリテージ施設への明確な布石でもある。ルノーは今、自らの125年の歴史を「固定展示」から「循環する遺産」へと変えようとしている。
このオークションは、単なる名車売買の場ではない。ルノーというブランドが、これからも過去と未来を同時に走り続けるための、極めて象徴的な通過点なのである。
オークション開催情報
オークション名:The Renault Icons ― Sélection provenant de la collection Renault
開催日:2025年12月7日(日)13:00〜
会場:ルノー・フラン工場(Flins-sur-Seine)
Boulevard Pierre Lefaucheux, 78415 Aubergenville, France
主催:Artcurial Motorcars
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI

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