ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2025.11.17 14:11

◆相互信用金庫と信用保証基金の誕生

8・3措置は企業に大きな特恵だった。しかしプラスの面ばかりではなかった。「物価上昇を3%前後に抑える」という条項もあった。企業に製品価格を上げるなという指示だった。利子調整の恩恵を受けた企業が支払うべき、一種の費用だった。

8・3措置にはなかったが、一方で政府は企業に株式市場上場(企業公開)を促した。73年1月には「企業公開促進法」を作られた。8・3措置を準備する時から構想していたシナリオだった。しかし実際に私債軽減の恩恵を受けた企業は公開をためらった。すると政府は74年、「5・29特別指示」を通じて上場圧力を加えた。「強制上場措置」とも呼ばれる5・29特別指示は、企業の税務管理を強化するなどの内容が含まれた。72年に66社にすぎなかった上場企業数は79年に355社に増え、資本市場が本来の位置に戻ることになった。

8・3措置はエネルギー・鉄鋼・化学など15部門を合理化業種に指定し、長期低利融資をするという内容も盛り込まれた。また、8・3措置と共に短資会社と相互信用金庫、信用保証基金が生じた。私債の負担だけを減らす対症療法にとどまらず、金融・資本市場全体にメスを入れる一大手術だったのだ。

8・3措置ですぐに企業の財務構造が堅実になり、利益が増えた。71年に8.4%だった企業の利益率は73年に12.8%に上昇した。国家経済全体にも効果を発揮した。73年の輸出は前年比で76%増えた。1次石油危機の中でも73年は14.8%、翌年は9.5%の経済成長率となり、重化学工業投資・育成も着々と進んだ。

8・3措置が大企業に「大馬不死」の免罪符を与えたという否定的な見解もある。個人の財産権を深刻に制限した、資本主義と市場経済に対するクーデターでもある。開発独裁時代でなければ想像しがたい措置だ。

8・3が成し遂げた不法金融の陽性化は制度圏金融の革新と共に金融改革の究極的な課題だ。8・3措置がなかったとすれば、当時のように不安定な環境で私金融資金は産業投資より不動産や高利貸金側に向かったはずだ。企業も資金をその方向で運用する可能性が高かった。8・3措置はこうした資金の流れを産業側に向けた。私債調整と共に金利引き下げ、出資転換、企業公開促進など企業金融の構造的改善と産業合理化のための大々的な投資促進を宣言することで3次経済開発計画を推進するという政府の意志を表出した政治的決断だったと見ることができる。また、当時の官僚が私債の調整にとどまらず不法金融と企業金融システム全般を改革する政策を立てて危機を機会にしたという事実は、対症療法ばかりが乱舞する最近、振り返ってみるべき点ではないだろうか。

<創刊企画「大韓民国トリガー60」㊿>「資本主義に対するテロ」と呼ばれた8・3措置、株式市場を育てた逆説(1)


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