ワンランク上のモデルといえたトレド
トライアンフ1300の小柄な後継モデル、トレドは「ヘラルド・オーナーが乗り換えるべき理由」が掲げられ、積極的に売り出された。1970年の発売当初は2ドアサルーンのみだったが、1971年に4ドアも追加されている。
英国では937.64ポンドと、お手頃でもあった。ヒルマン・アベンジャーへ接近した価格でありつつ、ワンランク上のモデルが手に入った。パンフレットでは、「驚くことに、トレドの値段はありふれたサルーンと変わりません」。と主張されていた。
トライアンフ・トレド(1970〜1976年/英国仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
今回のハニーサックル・イエローのトレドは、アンドリュー・バーフォード氏の1974年式。最初のオーナーは、銀行の支店長だったとか。リクライニング式シートにマッドフラップ、ゴム製フロアマットなどのオプションが、盛り込まれている。
同じボディシェルのままドロマイトへ
インテリアはシンプルな造形だが、雰囲気は上質。ダッシュボードには、本物のウッドパネルがあしらわれる。動力性能で注目を集めたわけではないが、ファミリーカーとしての役割は充分に果たした。ロードマナーを、バーフォードは冷静に説明する。
「パワステなどの新しい装備は当然なく、スローでソフト。タイヤも影響して、操縦性は現代のモデルと全然違います。濡れた路面では、テールが外に流れようとするんです。自分は、雨の日には絶対に乗りませんけどね」
トライアンフ・トレド(1970〜1976年/英国仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
他方、1300の別の後継モデルだった1500は、同じボディシェルにシングルオーバーヘッドカムの1854ccエンジンが与えられ、ドロマイトへ進化。1970年には生産準備が整っていたが、経営上の問題で、発売は1972年へ遅れることになった。
とはいえ、トライアンフの親会社、ブリティッシュ・レイランド(BL)は高性能モデルへ積極的でもあった。ドロマイト・スプリントは、1973年6月にデビューしている。
2.0Lから128psを発揮したスプリント
エンジンはコベントリー・クライマックス社製の16バルブで、1998ccから128psを発生。当初は135psが狙われたものの達成できず、サブネームは135ではなくスプリントに落ち着いたという。ブレーキとトランスミッションも、改良が加えられている。
最高速度は186km/hで、マルチバルブ・エンジンを積んだ量産車として世界初。アルミホイールとビニール製ルーフの標準化も、量産の英国サルーンでは初めてだった。価格は1786.84ポンド。アルファ・ロメオやBMWの競合より、700ポンド以上安かった。
トライアンフ・ドロマイト・スプリント(1973〜1980年/英国仕様) ジャック・ハリソン(Jack Harrison)
自信のあったBL側は、週250台の生産目標を設定。AUTOCARは「英国が道を指し示す」と絶賛し、別媒体は「お買い得なクルマとしてはジャガーに並ぶ」と伝えたほど。ジョヴァンニ・ミケロッティ氏のスタイリングは、古び始めていたが。
エスコートより「あらゆる面で優れている」
画像 紆余曲折トライアンフ 1300に1500、トレド、ドロマイト・スプリント 同時期の英国車たち 全142枚
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