朝日小学生新聞 奥苑貴世

撮影・粂川真木彦

日本初開催のデフリンピック出場へ

 耳が聞こえない、聞こえづらいなどの障がいがある選手たちによる「デフサッカー」で活躍する瀧澤諒斗さん。日本で開かれるデフリンピック(聴覚障がいのある選手たちのオリンピック)の日本代表にも選ばれました。(奥苑貴世)

 ※2023年10月のインタビューを再構成しました

「感音性難聴」という障がいがある瀧澤さんは、生まれつきほとんど耳が聞こえません。補聴器をつけ、話している人の口の動きを読み取ることで会話をしています。

幼稚園のときにサッカーを始めました。現在は亜細亜大学サッカー部で、聞こえる人たちとのプレーも続けています。学校などでは聞こえる人たちの中で過ごしてきましたが、中学生くらいのころは思いがうまく伝わらないなど、障がいについてなやんでいたこともあります。

そんなとき、両親にすすめられてデフサッカーを知りました。「選手たちが手話で楽しそうに話していたのが印象的だった」と瀧澤さん。中学3年生で、日本代表の合宿に参加しました。

デフサッカーは、人数や試合時間など基本的なルールはふつうのサッカーと同じです。ただ、試合中は補聴器をはずさなければなりません。笛の音が聞こえない選手もいるため、審判は旗と笛の両方を使って合図します。

選手たちは試合中、手話や視線でコミュニケーションを取ります。「コートは広いので、監督の指示が伝わりにくいときもあります。気づいた人から他の選手へ伝えていくなど、チームワークがとても重要です」

2023年にマレーシアであったW杯で、瀧澤さんは初めて日本代表として出場しました。日本はトルコ、フランス、エジプトに勝利し、デフサッカー男子で初めての準優勝となりました。

今年11月、日本で初めて開かれるデフリンピックも「デフサッカーを多くの人に知ってもらうチャンス。活躍するすがたを見せたい」と意気ごみます。

瀧澤諒斗さんを知る七つの質問
Q1 どんな小学生でしたか?

ずっとボールを追いかけていて、サッカーのことばかり考えている子どもでした。

小学4年生のときの瀧澤さん 本人提供

Q2 聞こえる人たちとのサッカーでは、どうコミュニケーションを取っていますか?

補聴器をつけていますが、聞こえないこともあります。また、雨の中の試合では補聴器がぬれてこわれてしまうため、はずしています。そこで、近くのポジションの選手に合図をしてもらうなど、工夫しています。

Q3 デフサッカーと大学のサッカー、両立は大変?

大学のチームにとって重要な時期に、デフサッカーの日本代表としての試合などが重なることもあります。チームのみんなの理解と応援があって続けられています。

Q4 家族はどんな存在?

両親も耳が聞こえません。同じなやみを経験していることも多く、話を聞いてもらったり、有意義なアドバイスをくれたりします。

Q5 練習がお休みの日は何をしていますか?

アルバイトや友だちとの食事、デートなど、大学生活を楽しんでいます。最近はサウナにハマっています。

Q6 好きな言葉は?

「人生、山あり谷あり」です。谷が深いほど、みんなが知らないことを知り、経験できると思っています。昔はネガティブ(否定的)で、うまくいかないことがあると、何でも聞こえないことを理由にしてしまった時期もありました。今は「障がいやなやんだ経験があるからこそ、できることがある」と考えています。

Q7 サッカー以外の夢や目標は?

障がいや、それ以外のことでも、なやんでいる子どもたちに勇気をあたえられる存在になりたいです。とくに、聴覚障がいのある子どもたちにとって、ロールモデル(お手本となる人)になりたいと思っています。

例えば、自分は相手の口の動きを読み、自分も声を出して話す方法で会話をしてきたので、あまり手話を使いませんでした。けれども、聞こえない子どもたちに「声を出して話せないとダメなんだ」と思ってほしくない。だから、デフサッカー選手として活動するときは、積極的に手話を使うようにしています。

瀧澤諒斗(たきざわ・あきと)

 2004年生まれ、千葉県出身。おさないとき、耳が聞こえないことに両親が気づき「感音性難聴」と診断される。現在は亜細亜大学法学部に在学中。大学のサッカー部と、デフサッカーの日本代表の両方でプレーしている。

(朝日小学生新聞2023年10月18日付)

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