【写真を見る】東京都・池袋はかつて田畑や沼地だった!? 池袋が大都市に発展した経緯とは 「水窪川」の暗渠道から歴史の紐を解く旅

■田畑や沼地から大都市へと変貌を遂げた池袋

髙山さんが訪れたのは、東京都豊島区の池袋駅・東口エリア。一般の方と一緒に旅をします。

(道マニア・髙山英男さん)
「池袋の“池”はもちろん水絡み。“袋”という字は、湿地・沼地・池などが囲まれている地形によく使われる。池袋の暗渠道を探索しながら、街の記憶を手繰り寄せて、知られざる物語を解き明かしていきたい」

新宿・渋谷と並ぶ東京の三大副都心の1つであり、世界第3位の乗降客数を誇る池袋。その昔を遡ると、かつては人が寄り付かない田畑や沼地で、駅開業当初は“狸や狐のための駅”と呼ばれたそう。

そんな池袋はいかにして大都市へと発展したのか?暗渠道を歩きながらその経緯を解き明かします。

■昭和初期は「東京拘置所」だった

「かつて街を流れていた川の痕跡は、今も街中に息づいている」と道マニア。また、都内最大級のランドマーク「サンシャインシティ」をはじめ、多彩な商業施設が立ち並ぶこのエリアに暗渠道があると言います。

サンシャイン60通りから南に入ると、道が少し下がっている飲み屋街「美久仁小路(みくにこうじ)に。

(道マニア・髙山英男さん)
「これから巡る川は、ここが水源だった」

池袋駅とサンシャインシティの中間に位置する「美久仁小路」は、戦後の区画整理により「蟹ヶ窪(かにがくぼ)」という湿地帯に移った闇市から、現在の街の形が形成されました。
そんな「美久仁小路」を水源とし、かつて流れていたのは「水窪川(みずくぼがわ)」。

(道マニア・髙山英男さん)
「ここは窪地。水が湧いて池ができ、それが流れ出していった。ちょっと離れた場所に『水久保』という地名があって、それにちなんだ名前らしい」

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