コラム:ドーマー定理が示唆する円相場、ドル160円台回復はあるか=内田稔氏

 10月28日、自民党総裁選の前日に147円台だったドル/円相場は153円台に達した。スイスフラン/円やユーロ/円が史上最高値を更新するなど、クロス/円の上昇も顕著だ。本稿では足元の円安の背景を整理し、一部で指摘される「悪い金利上昇による円安説」にも考察を加える。内田稔氏のコラム。写真はアルゼンチン・ブエノスアイレスで2018年8月撮影(2025年 ロイター/Marcos Brindicci)

[東京 28日] – 自民党総裁選の前日に147円台だったドル/円相場は153円台に達した。スイスフラン/円やユーロ/円が史上最高値を更新するなど、クロス/円の上昇も顕著だ。本稿では足元の円安の背景を整理し、一部で指摘される「悪い金利上昇による円安説」にも考察を加える。そして高市早苗首相が掲げる「責任ある積極財政」のキーワードである「ドーマー定理」を紹介した上で、年内の円相場を展望する。結論を先に言えば、かなり円安圧力が強まる可能性が高い。

<複数の円安経路>

自民党総裁選後の円安の主因は、日銀の利上げ観測の後退とみられる。オーバーナイト・インデックス・スワップ(OIS)市場では、総裁選前日に5割を超えていた10月会合での利上げの織り込みが10月27日時点では約1割まで低下している。現在、市場のメインシナリオは年明け1月の利上げだ。

高市氏はかねてより日銀法第4条に言及し、政府が進める経済政策との一体性を強く求めてきた。そのことが日銀の利上げ時期の後ずれやペースダウンを連想させ、円安期待を高めている。また、財政出動を期待した株式相場の騰勢もリスク選好の円売りを招いていると考えられる。さらに、日米関税交渉の合意を受けた対米輸入の増加によって貿易赤字も再び拡大する公算が大きい。何より円安の根底には、マイナス圏に位置する実質金利(=名目金利-インフレ率)が横たわっている。今年、日本の実質金利は上昇したが、それでも円安基調が続いていることから、金利の「変化」ではなく「水準」が円相場を低位に押しとどめているとみるのが妥当だ。海外中銀の利下げが相次いだ今年も円が弱いのはそのためだろう。

<悪い金利上昇の円安なのか>

円安の一因に日本の財政悪化を懸念した「悪い金利上昇」を指摘する声が少なくない。確かに教科書的に言えば、財政支出の拡大は金利上昇と資本流入、円高を招く。そこで長期金利の構成要素である期待インフレ率を10年物ブレークイーブン・インフレ率、プレミアムを10年物タームプレミアム(大和証券)で確認すると、ここ数カ月余り、前者に大きな変化がみられない中で、後者がじわりと上昇している。ただ、タームプレミアムは国債発行残高、すなわち政府債務の拡大と正の相関関係を持つと同時に、日銀の国債保有残高とは負の相関関係を持っているとされる。昨年来、日銀が国債の買い入れ額を減らす「量の正常化」に着手した点に照らせば、タームプレミアムの拡大は財政悪化懸念ではなく、この日銀の国債保有残高の減少を反映した動きと考えられる。事実、政府の信用リスクを直接的に観察することができるクレジットデフォルトスワップ市場において、スプレッドはおおむね横ばいで推移している。基礎的財政収支(プライマリーバランス)の対国内総生産(GDP)比を主要7カ国(G7)で比べても、黒字のイタリアを除けば日本の赤字幅が最も低い(国際通貨基金の最新の財政モニターにおける2025年見通し)。さらに、高市総裁誕生後に行われた30年物(10月7日)、20年物(10月15日)の国債入札もそれぞれ無難に通過している。日銀の国債保有残高の減少に伴い、今後も長期金利の上昇が見込まれるが、複数の状況証拠に照らせば、それは財政悪化を反映した「悪い金利上昇」とは異なるものと言える。

<首相と財務相が共有するドーマー定理>

さて、片山さつき財務相は10月21日の囲み取材の際、日本でドーマー定理が成立しているとした。その上で、名目の経済成長率が国債の発行利回りを上回っており、ネットの債務残高の対GDP比を緩やかにコントロールしていくことが可能であるとの考えを示した。

ドーマー定理とは、政府の財政赤字の持続可能性を判断するための理論的条件である。具体的には、名目GDP成長率が名目利子率を上回っていれば、財政赤字は持続可能であるとの考えだ。また、高市氏もそれより早い10月9日の経済番組の中で責任ある積極財政を説明する際、ドーマー定理という用語こそ持ち出さなかったものの、やはり名目のGDP成長率が金利を上回る状態を保ち、経済成長につなげていく考えを披露した。もともと片山氏が高市氏の推薦人であったことに照らせば、首相と財務相はドーマー定理を共有しているとみられる。

<ドーマー定理が招く二つのインセンティブ>

政府がドーマー定理を意識するのであれば、当然二つのインセンティブが働くはずである。一つは政策を総動員して、少しでも名目GDP成長率を高めることだ。そしてもう一つは、長期金利を低く抑えることである。高市氏はかねてより日銀の利上げに否定的な考えを示してきたが、ドーマー定理を意識すれば長期金利の上昇も抑えたいはずだ。今後、日銀は利上げに加え、長期金利に影響する量の正常化もやりにくくなる可能性がある。実際、先の経済番組の中で高市氏は13年に締結した政府と日銀の共同声明である「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」に関し、直ちに見直しが必要とは考えていないとしつつ、政府の政策と金融政策を整合させていくことが重要であると説いた。日銀の対応次第では、共同声明がより強固な政府と日銀の一体性を求める内容に上書きされる可能性は否定できない。

<名目GDP拡大ならインフレも継続へ>

名目GDP成長率は実質GDP成長率にインフレ率を加えたものであるから、単純に考えて名目GDP成長率の拡大はある程度のインフレを伴う(逆の因果関係もある)。その上で、日銀の金融政策の正常化が遅れ、長・短の名目金利の上昇が抑制される可能性もあり、引き続き実質金利はマイナス圏にとどまりそうだ。これは、強い金融緩和の継続を意味し、株式相場にとっては追い風となる一方、円相場にとっては円安圧力となる。また、長期金利には期待インフレ率の高まりによる上昇圧力が加わるとみられるが、日銀の今後の国債買い入れスタンスにも大きく左右されるだろう。

<ドル/円の160円台回復も>

以上を踏まえて最後に年内のドル/円相場を展望する。円安圧力にドル高圧力が加わるときドル/円は勢いよく上昇する。ただ、ドル高が不在であっても強い円安圧力だけでドル/円は時として大きく上昇することもある。例えば、24年7月にドル/円は161円95銭に達したが、ドル指数は22年9月にピークアウトし、約7%もドル安となっていた。従って、この間のドル/円を押し上げたのは、急拡大した日本の貿易赤字や日銀の緩和的なスタンスといった円安圧力である。この例に従えば、年内のドル/円が円安圧力だけで年初来高値158円台を回復しても不思議ではない。

さらにドルに目を転じると、長引く政府機関の閉鎖、来年末までの4回利下げの完全な織り込み(1回の利下げ幅を0.25ポイントとした場合)といったドル安材料に抗い、9月半ば以降、ドル指数は持ち直しつつある。米中関税交渉における前進が加われば、投機筋のドルショートの解消(ドル買い)にも弾みがつくだろう。片山氏によると27日のベセント米財務長官との会談の中で、為替に関する「機微にわたる話は出なかった」とされる。本邦の円買い介入、トランプ政権からの円安けん制、米国の一段の景気の冷え込みとさらなる利下げ織り込みの進展、最高裁における関税の違憲判決および米国の財政悪化懸念の再浮上など越えるべきハードルも多いが、ドル/円が160円台を回復する可能性は否定しがたい状況ではないか。

編集:宗えりか

*本コラムは、ロイター外国為替フォーラムに掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

*内田稔氏は高千穂大学商学部教授、株式会社FDAlco外国為替アナリスト、公益財団法人国際通貨研究所客員研究員、証券アナリストジャーナル編集委員会委員、ダイト株式会社社外取締役監査等委員。慶應義塾大学卒業後、東京銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、マーケット業務を歴任。2012年からチーフアナリストを務め、22年4月から高千穂大学商学部准教授、24年4月から現職。J-money誌東京外国為替市場調査では2013年より9年連続個人ランキング1位。国際公認投資アナリスト、日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト。YouTubeチャンネル「内田稔教授のマーケットトーク」では解説動画を毎週更新している。

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