Jリーグ各クラブで活躍し、J1通算111ゴールを挙げたFWエジミウソンは、キャリアのピークである21歳から28歳までを日本の2クラブで過ごし、心ならずも、カタールへ活躍の場を移した。しかし日本への愛情は失っていなかったようだ。〈NumberWebインタビュー全3回/第1回からつづく〉

カタールで苦しみFC東京へ…日本が懐かしくてね

――2011年6月に浦和からアル・ガラファ(カタール)へ移籍した。

「生活は申し分なかったけれど、フットボールでは苦しんだ。日中はひどく暑いから、練習も試合もすべて20時以降。観衆が少なく、スタンドはガラガラ。いつも満員だったビッグスワンや埼玉スタジアムが恋しかった。プレーするモチベーションが落ちてしまった」

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――2012年7月、FC東京へ加入します。10試合に出場して2得点でした。

「FC東京から期限付き移籍のオファーがあった、と聞いて、また日本でプレーできるのであれば、と受け入れたんだ。ただ、シーズン途中、すでに出来上がっているチームに入るのは簡単ではなかったし、筋肉系の故障もあってフル稼働できなかった」

――2012年末、FC東京からアル・ガラファへ戻った後、2013年4月、子供の頃に憧れたバスコダガマに加入します。このときも、私はバスコダガマのスタジアムで話を聞いています。

「ああ、この時のことは覚えているよ。日本のことが懐かしくて、沢山しゃべったはずだ(笑)」

――バスコでは好調で、2013年のブラジルリーグで8得点2アシスト。2014年初めのリオ州選手権では18試合に出場して11得点をあげ、得点王に輝いています。

「子供の頃に好きなクラブだったから、プレーするのがとても楽しかった」

セレッソに加入…「鍋」が存在したんだ

――2015年にレッドブル・ブラジル、シャペコエンセでプレーした後、7月、当時J2のセレッソ大阪へ半年間の期限付き移籍をします。関西のクラブでプレーするのは初めてでした。

「実を言うと……当時、チームには『パネーラ』 があって、非常にやりにくかった」

――パネーラ(直訳すると「鍋」)。ブラジルのフットボール用語では、「チームに派閥があって、分裂している状態」という意味ですね。

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