先月よく読まれた記事を再配信します(2025年9月21日の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)。

【写真】ロンドンに留学していた当時の加藤清史郎さんはこちら(全2枚)

MENU
子役時代は、出番を待つ控室で勉強
変声期を迎えたとき、先輩の山崎育三郎さんがかけてくれた言葉
英語の壁にぶち当たって、初めて「挫折」を経験

 この夏、24歳になった俳優の加藤清史郎さん。1歳で芸能界デビュー、子役時代は大河ドラマやCM、映画と大活躍。順調にキャリアを重ねてきたように見えますが、中学卒業後のロンドン留学では「大きな挫折」を味わったといいます。留学を決意した理由や、留学先で感じた英語の壁について聞きました。※後半<加藤清史郎に聞く、ロンドン留学後の大学生活「あのつらい時期があったから、何事も“よし、やってやろう!”と思える」>に続く

子役時代は、出番を待つ控室で勉強

――加藤清史郎さんといえば、いつもさわやかで誠実な「好青年」というイメージです。

 いやー、どうでしょう(笑)。でも、子役時代はまさにそのような感じだったかもしれません。子役時代にお仕事でご一緒させていただいた方に当時の僕のイメージをうかがうと「清史郎は、いつも前室(控室)で勉強をしていた印象がある」とみなさんおっしゃるんです。

 当時、僕が仕事をするのは基本的に土日の休みか、平日の放課後でした。勉強系の習い事もしていたので、その宿題も提出しなくてはいけません。

 わが家には「遊んだりゲームをしたりするのは、その日にやるべき勉強を終えてから」というルールがありました。そこで、さっさと終わらせてみなさんとお話したり遊んだりしたい一心で、現場に着いたらまず勉強をしていたんです。ですから、当時の僕はまわりの人に「優等生」に映っていたかもしれませんね。

――小学生時代、勉強はどんな教科が好きでしたか?

 小5くらいから学校で英語の授業が始まりました。その少し前から英語の習い事にも通っていたので、英語の勉強がとても楽しく感じられました。

 僕は小4と小6でミュージカル「レ・ミゼラブル」に出演し、小6のときの公演には海外のスタッフが大勢入って、人生で初めてといっていいくらい、英語に囲まれて仕事をしたんです。

 当時は「もっと英語が話せたらいいのに」と子どもながら歯がゆく感じたり、英語でスタッフと会話をしている出演者を見て「かっこいいなあ」と思ったり。そんなふうに英語への憧れが募っていきました。ですから、英語を学ぶことに対してはとても前向きで、中学に入っても英語だけはなにがあっても成績がよかったんです。

次のページへ山崎育三郎さんの言葉

著者 開く閉じる

三宅智佳

編集者、ライター。出版社で女性誌の編集を経て、フリーに。ファッション誌や書籍を中心に活動、現在は「AERA with Kids」誌面の編集・執筆を多く手がけるほか、WEBでも子育てや教育分野、著名人インタビューなど精力的に執筆を行う。生活まわりのグッズや本紹介も得意。

WACOCA: People, Life, Style.