2025年10月24日 午後9時00分

福井県のシルエット
「若者の流出」と聞くと、“出ていく”か“ここにいる”かという話になりがちだ。けれど、ほんとうのところは「どこにいるか」よりも、「どう過ごすか」なのではないかと思う。
夢や目標のような大きな話ではなく、日々の中でふと湧く「やってみたい」を大切にできるか。それが一番大事なことのように感じている。
福井では、外に出ることのハードルが高い。親は心配して反対することが多く、「帰ってこない」「危険だ」と言われる。そこで諦めてしまう人も、少なくないのではないだろうか。
けれど、東京に行ってみて思ったのは、案外“そんなに危なくない”ということだった。終電で帰っても、夜は明るく、人の気配がある。むしろ、同じ時間に田舎道を歩くほうが、少し怖いくらいだ。
日々の暮らしという意味では、どこにいてもそう大きくは変わらない。違うのは、人の多さと、きっかけの多さ。興味を持てば、もっと深く知れる場所が、すぐ行ける距離にあり、思いがけない出会いがある。
私が東京に行ったきっかけは、“やってみたい”が芽生えたからだった。第一線で活躍するクリエイターから直接学べる、実践的なイラストの学校があった。そこは“描き方”を教える場所ではなく、「どう表現するか」を考える場所だった。
福井では、その道を目指す仲間も環境も見つけられなかった。だから“東京に行く”というより、“学びに行く”という感覚だった。その場所が福井にあったなら、私はきっと出ていかなかったと思う。
東京での暮らしは、誰にも干渉されず、やりたいことに没頭できる自由があって、その空気が心地よかった。だが同時に、福井と東京では“時間の流れ方”が違うことにも気づいた。
東京では「何がしたいか」が話の中心にあるけれど、福井では「もう結婚したの?」「子どもは?」と、人生の段階で語られることが多い。どちらが良い・悪いではないが、その違いに少し生きづらさを感じた時期もあった。
福井に戻ってからは、同じ志を持つ仲間を見つけられず、温度差を感じ、自分だけが止まってしまったように思うこともあった。けれど今思えば、それは“終わり”ではなく、“形を変えるタイミング”だったのだと思う。外で得た学びを、今いる場所でどう生かすか。それもまた、私にとっての“やってみたい”の続きなのかもしれない。
東京にいたのは、もう10年ほど前のこと。あの頃と比べれば、地方と都市の距離も、考え方も、少しずつ変わってきている。それでも、あのとき見た景色や感じた違和感は、今の自分の軸をつくってくれた大切な経験だ。
出ることも、戻ることも、そこにいることも、きっとどれも“通過点”。そう考えると、流出ではなく、ひとりひとりの“通過過程”なのだと思う。そして今いるこの場所も、きっとその途中にあるのだと思う。(まるこ)
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【ゆるパブコラム】一般社団法人ゆるパブリック(略称:ゆるパブ、2015年福井に設立)の発信の場として始まったコラムコーナー。福井の若者や学生、公務員、起業家、経営者、研究者などあらゆる立場の人が、さまざまな視点から福井のまちの「パブリック」に迫ります。

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